「自信がない」のが悩み… という人は意外と多いのかもしれません。わたしも、そのひとり。
というわけで、自信がないじぶんでもなんとかするために、わたしが実践していることについて、お話をしていきます。
なにか良い生き方はないものか。
もしかすると、「自信がない」のが悩み… という人は意外と多いのではないでしょうか。なにを隠そう(隠す必要もありませんが)、わたしもまたそのひとりです。
とはいえ、「自信がない… 自信がない…」と嘆いてばかりいてもしかたがないので。「なにかよい生き方はないか、なにかよい方法はないか」と試行錯誤したすえに、いま実践しているのがこちらです↓
- あえて評価を求める
- 理不尽な評価は切り捨てる
- なにかを継続する
- 毎日ひとつ挑戦する
それではこのあと、順番に見ていきましょう。わたしと同じように、「自信がない」という方のご参考になることがあれば幸いです。
自信がないじぶんでもなんとかするために僕がやっていること
あえて評価を求める
自信がない、と。どうしても「評価される」のを避けがちになります。よい評価をもらえずに、さらに自信がなくなってしまうからですね。
たしかに、評価を避ければ、これ以上自信がなくならずにすむかもしれません。けれども、自信を持つ「機会を失う」というのもまた、それはそれでもったいない話です。
評価される場に立てば、自信のなさとは裏腹に、よい評価をもらえる可能性だってあります。自信があるから評価されるばかりではなく、その逆だってあるはずです。
つまり、よい評価をされることで自信を持てる。ニワトリが先か、タマゴが先か。
そんなわけで、わたしは「あえて評価を求める」ようにもしています。たとえば、セミナーを自主開催したときには、アンケートをお願いするとか。YouTubeでの投稿について、コメント欄を解放しておくとか。
すると、自信になるような評価をいただけることはあるものです。これがあるのと、ないのとでは、正直、わたしの「テンション」はだいぶ変わります。
おいおい、それって承認欲求が強すぎじゃね? と、思われるかもしれません。他者からの承認を必要とする生き方は、あまりよいものではないんじゃないか? と。
そのとおりです。なので、求めているのは「承認」ではなく、あくまで「評価」になります。などと言うと、こんどは「言葉遊び」のように聞こえるかもしれませんが。
でも、ここはだいじなところです。自信を持つためには「具体性」が重要になります。ただ褒められればいい(=承認欲求)、というものではありません。
この点で、評価をもらったときには、どこがよいのか、具体的なポイントを確認するようにしましょう。具体的であれば、自信を持つことができますし、さらに磨きあげることもできるでしょう。
でも、評価を求めると、悪い評価だってあるんじゃないの? というのであれば。それもまた、そのとおりです。ここでもやはり、具体的なポイントを確認しましょう。
いったいどこが悪いのか? それがわかれば、改善のきっかけにすることができます。悪いところを改善できれば、自信のなさを克服するのに役立つはずです。
というわけで、よい評価・悪い評価のどちらに転んでも、評価を求めることにメリットはあるものと考えています。
具体的なポイントに注目できるのであれば、SNSの「いいね」なども役立つのではないでしょうか。あえて評価をされる場に立つことも考えてみましょう。
理不尽な評価は切り捨てる
あえて評価を求める、という話をしました。ここで気をつけるべきは、「理不尽な評価」です。評価を求めれば、なかには理不尽な評価がまじることがあります。
いわれなき非難や誹謗中傷のたぐいです。たとえば、じぶんの「容姿」をいじられるとか。容姿については、改善できることもあれば、改善できないこと・しにくいこともあるでしょう。
このうち、後者については「切り捨てる」ことです。容姿に限らずですが、改善できないこと・しにくいことはあるはずです。そこにまで、「真剣」に向き合う必要はありません。
だから、「そんなこと言われても、それはムリだよねぇ(笑)」と受け流す「強さ(?)」はあったほうがいいでしょう。
逆に、受け流すことができないようなら、評価を求めるのは危険かもしれません。
ただし、世の中にそれほど多くの理不尽があるのか? ということについて、わたしは少々疑問を持っています。
誹謗中傷がたびたびニュースになっているのを見て、それが「日常茶飯事」に感じることもあるでしょう。ですが、それ(事件や事故)を伝えるのがニュースだからであって、実際にはなにも起きていないことのほうがずっと多いはずです。
事実、わたし自身は、誹謗中傷の経験はありません。いちおう、ネットの世界で6年近く生きてはいますが。誹謗中傷のニュースも事実であるいっぽうで、なにもないわたしの毎日もまた事実です。
なにが言いたいのか、というと。あまり過度に、理不尽な評価を恐れないほうがよいのではないか? ということです。世の中はそれほどの悪意に満ちているわけではないのではないか、と。
とはいえ、あまりうかつなことも言えませんから。さいごは、当然に自己責任です。
ただそれでも、いちどは評価をされる場に立ってみたら。それでもし、理不尽な評価を受けるようなら、そのときにはすぐに身を引く。というのでも、遅くはないのではないか。と、わたしは考えています。
なにかを継続する
評価の話がずいぶんと長くなってしまいました。話は変わって、自信がないじぶんをなんとかするためにやっていることとして、「なにかを継続する」が挙げられます。
わたし自身のことで言うと、継続の典型はこのブログです。かれこれ5年半ほど、毎日更新を続けています。これは間違いなく、わたしの「自信」につながるもののひとつです。
なにかを継続するのは、クチで言うほどカンタンなことではありません。よし、きょうからがんばるぞ! といって、まさに3日坊主でおわることの多さといったらもう…
そうして、「あぁ、やっぱりじぶんはダメだなぁ」なんて自信をなくしてしまうわけです。だからこそ、継続できるものを見つけましょう、継続に努めましょう。というのが、わたしの考えです。
いかにして続けるかについては、こんな記事も書いています↓
要は、「意思力」にたよらないこと。「しくみ(環境づくりを含む)」で解決をすることです。うまく「しくみ」ができれば、意思力にたよるよりはずっと、継続の確率が上がります。
その結果、ものごとを継続できるようになると、いわゆる「自己肯定感」は高まるものです。やればできる! ってやつですね。すると、ますます継続できるようにもなるでしょう。
また、ものごとを継続していくなかで、自己コントロール能力も上がっていく、というハナシがあります。じぶんの感情や思考、行動をコントロールできる能力です。
するとこんどは、感情や行動のブレも小さくなり、ものごとに集中できるようにもなります。結果として、ものごとで成果をあげやすくなる。成果があがれば、自信も持てる。好循環です。
というわけで、「なにかを継続する」ことに取り組んでみるのはいかがでしょうか。
毎日ひとつ挑戦する
わたしが実践していることのなかで、もうひとつ。自信を持つのに貢献しているのが、「毎日ひとつ挑戦する」です。わたしはこれを、「1日1試」と名付けています。
どんなに些細なことでもかまわないので、きのうまでの人生で経験のないことを「試す」。すなわち、なにかに挑戦をしてみる。この経験が積み重なると、自信の裏付けになります。
「挑戦できるじぶん」というものに対して、少しは自信が持てるはずです。試しておしまいではなく、それを「記録」もしています。こんな感じです↓
1日のおわり(夜)にふりかえって、記録するようにしています(ツールはNotion)。この記録を見返すことで、「あぁ、実際に挑戦してきたんだなぁ」と再認識できるのでおすすめです。
ちなみに、「選択」「戦略」「努力」と記述をしているのは、挑戦の「種類」になります。
選択は、文字どおり、いくつかの選択肢のなかから選ぶという挑戦を(あたらしいお店に行った、あたらしい商品を買った、とか)。戦略は、中長期の視点ではじめた挑戦を(あたらしいセミナーをはじめた、あたらしい趣味を見つけた、とか)。努力は、理屈よりも気合でのぞんだ挑戦を(いつもより長い距離を走った、食わず嫌いなアレを食べた、とか)。といった具合です。
このあたりで、挑戦の内容の「バランス」も確認をするようにしています。最近、戦略的な挑戦が減っているなぁ、とか。そのうえで、毎日ひとつ以上、なにかに挑戦をし続ける。
そのなかから、前述した継続できるものが見つかるかもしれない。よい評価を受けるものにつながるかもしれない。挑戦は、その第一歩にあたるものです。
逆に、挑戦がない・減るということになると、最終的には「自信がない」につながりやすくなるのではないでしょうか。というわけで、毎日ひとつ挑戦する、記録することをおすすめします。
まとめ
「自信がない」のが悩み… という人は意外と多いのかもしれません。わたしも、そのひとり。というわけで、自信がないじぶんでもなんとかするために、わたしが実践していることについて、お話をしてきました。
わたしと同じように、「自信がない」という方のご参考になることがあれば幸いです。
- あえて評価を求める
- 理不尽な評価は切り捨てる
- なにかを継続する
- 毎日ひとつ挑戦する