ヒトはだれかと繋がっているようでいて、本質的には孤独だとも言われます。物理的に、あるいは精神的に、ひとりがツラい、ひとりがさみしい… そんなことがあるかもしれません。
というわけで。「孤独」に負けない名言をご紹介していきます。
ヒトはだれもが孤独だから。
ヒトはいつも、だれかと、あるいは社会と繋がっているようでいて、「本質的」には孤独だとも言われます。物理的にも、あるいは精神的にも、「孤独」を感じるときはあるだろう、ということです。
ゆえに、あるときふと「ひとり」であることを感じて、悩み、迷うということもあるでしょう。
そんなときには、偉大なる先人の言葉、いわゆる「名言」にふれてみるのはいかがでしょう。同じような悩みや迷いを抱えて、そのなかで紡がれたであろう言葉には価値があるはずです。
というわけで。昔からちょいちょいコレクションしている名言のなかから、「孤独」にまつわる名言をご紹介していきます。「ひとりはツラい」あるいは「ひとりはさみしい」というときにどうするかのヒントになる名言はこちらです ↓
- 孤独な木は、仮に育つとすれば丈夫に育つ。
- 孤独を友とした仕事と向き合った時間は、けっして自分を裏切らない。
- 最上の思考は孤独のうちになされ、最低の思考は混乱のうちになされる。
- あなたの心が正しいと思うことをしなさい。どっちにしたって批判されるのだから。
- 多数に追随すれば必ず自分を見失う。孤独を恐れず、したいことを続けるしかない。
- 意志もまた、一つの孤独である。
- 自分のことを、この世の誰とも比べてはいけない。それは自分自身を侮辱する行為だ。
- 孤独を愛さない人間は、自由を愛さない人間にほかならない。 なぜなら、孤独でいるときにのみ人間は自由なのだから。
- 孤独だということは人と違う人間だということ。人と違っているということは孤独になるということ。
- 自分は、常に自分の味方であれ
ひとりがツラい、ひとりがさみしい…孤独に負けない名言10選
孤独に負けない名言、まずはこちらから↓
孤独な木は、仮に育つとすれば丈夫に育つ。
ウィンストン・チャーチルさん / 政治家
植物はあまり密集した状態では、お互いが育成のジャマになるものです。そこで、「間引き」をして育成をうながすという方法があります。こうして、より「孤独」となった木は、丈夫に育つわけです。
また、森のなかにある1本の木は、周囲の木に守られているといえるでしょう。ところが、過酷な場所でも、ポツンと生える1本の木があったりします。孤独に耐える強さの象徴として、「奇跡の木」などと呼ばれたりもするところです。
ヒトもまた、孤独な環境でこそ丈夫に育つ。孤独な環境は「強く育つ機会」と捉えてみるのはいかがでしょうか。環境と言えば、「仕事」の場面での孤独もありがちですよね。というわけで、続いての名言がこちら↓
孤独を友とした仕事と向き合った時間は、けっして自分を裏切らない。
猪瀬直樹さん / 作家・政治家
じぶんの信じた道を突き進もうとするとき、周囲のだれとも相容れないということはあるでしょう。けして敵対しようというわけではないにせよ、周囲がついてはこれないほどのスピードで突き進む。
わたしにも、経験はあります。会社勤めをしていたときには、まわりに上司・同僚・後輩がたくさんいるのにもかかわらず、孤独を感じることもありました。また、独立をしたいまは、物理的にひとりであり、孤独な環境でもあります。
でも、そんな「孤独を友」として、真正面から仕事に向き合った時間は、けしてじぶんを裏切らない。なんとも、心強いエールを送ってくれる名言でしょう。もちろん、わたし自身、経験則としても実感できる名言です。
続いての名言はこちら↓
最上の思考は孤独のうちになされ、最低の思考は混乱のうちになされる。
トーマス・エジソンさん / 発明家・起業家
すごーくカジュアルなイメージで考えてみると。まわりのみんなが遊んでいるときに、じぶんはひとり、懸命に勉強に打ち込んだとか、スポーツに打ち込んだとか。結果、まわりのみんなとは違うじぶんになれた、というハナシはあるわけで。
集団(まわりのみんな)に流される、すなわち、混乱の状態に身を置くのはよくないかもしれないなぁ。そんなイメージが、思い浮かぶ名言だと言えます。なにかを遂げる人というのは、集団から距離を取っているものでもあります。
なにかを遂げたから、集団から抜きん出たというよりはまず、みずから集団を離れたイメージです。つまり、最上の思考のためにも、「じぶんから選ぶ孤独」も大切なのではないか? ということですね。そこで、この名言↓
あなたの心が正しいと思うことをしなさい。どっちにしたって批判されるのだから。
エレノア・ルーズベルトさん / 婦人運動家・文筆家
まわりを気にするあまり、じぶんの心をないがしろにしてはいけませんよ、と。たとえ、まわりから「つまはじき」にされようとも、じぶんが正しいと思うことをする。さきほどの「最上の思考」にもつながるところです。
それに、まわりにあわせたところで、すべての人にあわせられるものでもなし。結局は、だれかに批判されるというのも皮肉なものです。批判をされることで、さらにまわりが気になって、じぶんの心をいっそうないがしろにしてしまう…
これはこれで、違った「孤独」でしょうし、どうせ孤独を感じるのであれば、じぶんの心をだいじにしなさい! みたいな後押しについては、こちらの名言もおすすめです↓
多数に追随すれば必ず自分を見失う。孤独を恐れず、したいことを続けるしかない。
安藤忠雄さん / 建築家
やっぱり、そういうことなんですよね。多数、すなわち、集団にあわせようとしすぎると(ときに「あるていど」はあわせる必要があるにしても)、じぶんを見失う。個人的には、グサッとくる部分です。
どうにも昔から、ええかっこしいで、八方美人なところがありますので。そういう人は、じぶんを見失いやすいですね。たしかに。わたしの場合には、独立開業したことで、少しは(少しですが)、改善されたかなぁとは思っています。
勇気を持って孤独(独立開業)に飛び込んだ結果、したいことができるようになった。とも言えます。この点については、こんな名言も↓
意志もまた、一つの孤独である。
アルベール・カミュさん / 作家
これを逆から見ると。孤独であるのだとすれば、そこに「意志」があるからだ、と見ることができるでしょう。なので、「ひとり」を感じるということは、じぶんの心を信じて、じぶんの意志をもって、なにかに向かおうとしているからだと言えます。
と思うと、ちょっと勇気がわいてもきませんか。孤独は、じぶんがよい方向にむかっている証なのだと考えてみることもできるはずです。では、どこにむかっているのか? という点でこちらの名言も↓
孤独を愛さない人間は、自由を愛さない人間にほかならない。 なぜなら、孤独でいるときにのみ人間は自由なのだから。
アルトゥル・ショーペンハウアーさん / 哲学者
孤独の先にあるものは、「自由」だというお話です。言い換えると、自由であるためには、孤独である必要があると。たしかに、人間関係に縛られたり、社会に縛られたりしていると、じぶんの自由度は下がりますよね。
それでもかまわない、という考え方もあるのでしょうが。自由でありたい、という考え方もあるでしょう。わたしは、どちらかと言えば後者(自由でありたい)なので、そういう意味では、孤独である必要性があるわけです。
ちなみに、孤独であること自体は「わりと好き」というタチでもあります。なので、実のところ、「ひとりがツラい」とか「ひとりがさみしい」とか、深刻なレベルで感じることはありません。結果、孤独よりも自由を強く感じています。
このあたり、人によって性質や耐性が異なるところでしょう。それはそれとして、続いての名言はこちらです↓
自分のことを、この世の誰とも比べてはいけない。それは自分自身を侮辱する行為だ。
ビル・ゲイツさん / 実業家
なかなか厳しい物言いの名言ですよね。まわりを気にしてしまうわたしとしては、これまたグサリときます。とはいえ、だれしも、多かれ少なかれ、だれかと比べていることはあるのではないでしょうか。
ただ、あまり比べてばかりいると、優越感にせよ劣等感にせよ、いつも「他人基準」でじぶんを見失ってしまうのかもしれません。じぶんはじぶん、他人は他人です。ほかのだれでもないじぶんを信じる。
じぶんが、じぶんを信じた姿が「孤独」なんだ、という名言がこちらになります↓
孤独だということは人と違う人間だということ。人と違っているということは孤独になるということ。
スーザン・ゴードンさん / 作家
よくいわれることではありますが、じぶんの人生はじぶんのものです。じぶんが生きるべきは、じぶんの人生であるべきです。にもかかわらず、孤独を恐れるあまり、他人の人生を生きるようなことにはなっていないか?
わたしのように、ついつい他人と比較してしまうような人は、気をつけなければいけませんね。そこで、「いま、じぶんが孤独を感じているか?」を目安にすることはできるでしょう。孤独を感じていないのだとすれば、ある意味、要注意! みたいな。
とはいえ、ひとりを感じる。孤独を感じるというのも、ツラいものではあります。さみしくもあるでしょう。ほんとうにこれでいいのか? と、不安になることもあるでしょう。というわけで、さいごの名言です↓
自分は、常に自分の味方であれ
ROLANDさん / ホスト・実業家
孤独のさなかでは、「だれも味方がいない…」と心細くもなります。なにをしても、だれから称賛してもらえるわけでもなく、むしろ、みなから嘲笑されているような気さえする。正直、わたしはそう感じることもあります。
けれども、ここは「じぶんの人生」です。だれのものでもありません。じぶんの人生の主役はじぶん。じぶんがじぶんを信じてさえいれば、それでいい。じぶんが、じぶんの味方でありさえすれば、それでじゅうぶんに幸せです。
ぼくが、ぼくの味方だ。わたしが、わたしの味方だよ。と、じぶん自身に語りかけてみましょう。そして、じぶんがじぶんの味方でいられるように、あえて孤独を選ぶことも大切になりますね。
まとめ
ヒトはだれかと繋がっているようでいて、本質的には孤独だとも言われます。ですから、ときには物理的に、あるいは精神的に、ひとりがツラい、ひとりがさみしい… ということがあるかもしれません。
そんな悩みや迷いを抱えたときには、解決のヒントとして。先人が残した名言にふれてみる、名言に倣ってみるのはいかがでしょうか。
- 孤独な木は、仮に育つとすれば丈夫に育つ。
- 孤独を友とした仕事と向き合った時間は、けっして自分を裏切らない。
- 最上の思考は孤独のうちになされ、最低の思考は混乱のうちになされる。
- あなたの心が正しいと思うことをしなさい。どっちにしたって批判されるのだから。
- 多数に追随すれば必ず自分を見失う。孤独を恐れず、したいことを続けるしかない。
- 意志もまた、一つの孤独である。
- 自分のことを、この世の誰とも比べてはいけない。それは自分自身を侮辱する行為だ。
- 孤独を愛さない人間は、自由を愛さない人間にほかならない。 なぜなら、孤独でいるときにのみ人間は自由なのだから。
- 孤独だということは人と違う人間だということ。人と違っているということは孤独になるということ。
- 自分は、常に自分の味方であれ