誰でも書けることを書く、誰にも書けないことを書く

誰でも書けることを書く、誰にも書けないことを書く

最近、2冊の専門誌からご依頼があり、記事を執筆させていただくにあたり考えていたこと。「誰でも書けることを書き、誰にも書けないことを書く」について、お話をしてみます。

目次

ちょっと何言ってるかわからないとおもう。

最近、2冊の専門誌からご依頼があって、とある記事を執筆をさせていただきました。誤解を恐れずに、あえてキャッチーな表現をするのであれば、

うち1冊は「誰も書けることを書き」、うち1冊は「誰にも書けないことを書いた」と、考えています。やや言い過ぎなところはあるにせよ、それでも、本質は外していないはずです。

って、「誰でも書けることを書き、誰にも書けないことを書く」のであれば、それって「何でも書きまっせ」ということなんじゃないの? と、おもわれるかもしれませんが。

けして、そういうわけでもなく。「誰でも書けることを書き、誰にも書けないことを書く」というのは、執筆のご依頼を引き受けるか否かの基準でもあり、執筆する際の姿勢でもあります。

と、言われても「ちょっと何言ってるかわからない」ような気もするので、きょうはそのあたりのことを書いてみることにしました。

もちろん、専門誌への執筆に限らず、書くこと全般に汎用性がある話ではありますので。書きものをしている方、しようとしている方のご参考になるようあれば「これ幸い」とのおもいです。

それでは、いってみましょうか。

誰でも書けることを書く、とは

2冊の専門誌から執筆のご依頼をいただいた、と前述しました。うち1冊は「税金・会計」に関するテーマであり、言ってしまえば、税理士ならば誰もが書けるであろうテーマです。

なにをもって「書ける」とするのか、議論の余地があるかとはおもいますが。税理士が、そのテーマを前にして「さっぱりわかりません…」とはならないはずだ、という意味での「書ける」です。

これを聞いて、「だったら、じぶんが書かなくもよくないか?」と、おもわれるかもしれません。ほかの誰かが書けばいい。たしかに、それも1つの考え方でしょう。

いっぽうで、「誰でも書けることであったとしも、書きようはある」という考え方もあります。つまり、同じテーマで書くとしても、「見方の角度」や「切り口」を変えることは可能です。

もっとカンタンなことで言えば、「言葉遣い」や「話の順序」を変えることで、読み手の理解度を上げたり、気づきを増やしたりすることができます。

そのあたりの「書きよう」について、じぶんに「できる」という思いがあるのなら(思いだけでも、困るわけですが)、「誰でも書けることを書く」のにも意義ありです。

ちなみに、具体的にはどのようなテーマだったのか? というと、「修繕費と資本的支出の区分」であり、税金・会計においては、普遍にして王道のテーマだといえます。

なので、ある意味、語り尽くされている、書き尽くされているのですね。それでもなお、まだ見ぬ景色を求めて書くことには「ロマン」があります。チャレンジ精神をくすぐられる、というものです。

またちょっと、何を言ってるかわからないかもしれませんが。なにはともあれ、わたしはわたしなりに、できる限り工夫をこらし、伝え方にも配慮に配慮を重ねました。

もっとも、それが「評価」されるのかはわかりませんし、さらにはわたしの「独りよがり」という可能性も否定はできません。ただそれでも、じぶんなりの「思い」をいだき、じぶんなりの「姿勢」を支持することは大事なことだろうと考えています。

このブログもそうですが、「何でもかんでも、ただ書けばいい」ということではないわけです。そうはいっても、日々書き続けていると、思いや姿勢に惰性が生じることはありますから、折にふれて引き締めるようにしている、ということでしょうか。

誰にも書けないことを書く、とは

もう1つの執筆のご依頼は、テーマが「銀行融資」でした。自称「銀行融資専門税理士」のわたしにとっては、「ぜひともお任せください」というテーマです。

税理士多しと言えども(ほんとうに多い)、銀行融資専門をうたう税理士は多くありません。ましてや、ひとりで税理士事務所をやっている税理士でとなるとなおさらです。

まぁ、ひとりで税理士事務所をやっていることが、「世の中的な強み」になるかといえば、はなはだ疑問ではありますが。なにはともあれ、「希少性はある」ということです。

そのような状況で書く「銀行融資」については、「誰にも書けないことを書く」にあたるものだと、わたしは考えています。

と言いつつも、「誰にも書けない」は多少盛りすぎかもですが。前述した「税金・会計」のテーマに比べれば、「銀行融資」をテーマに語れる税理士は少ないものと推測しますがどうでしょう。

わたしは、時間とスペースさえいただければ、「銀行融資」について、いくらでも語り続ける自信があります。誰にも書けないことを書く「前提」とは、そういうことかもしれないともおもうところです。

いくらでも語り続ける自信がある、つまり、じぶんが語り慣れていると、なんだか他の人もあたりまえに知っていることのように「錯覚」することがあります。

どうせみんなも知っているだろう、こんなのあたりまえだろう。そう考えて、「むしろ書けない・書かない」ということはあるものです。でも、じぶんにとってのあたりまえは、けして、みんなのあたりまえではありません。

語り続けられることがあるのなら、まずは語ってみればいい。と、今はおもうようになりました(昔は違ったんかいっ! というハナシ)。

ひとりとして「じぶんと同じ考え、じぶんと同じ立場」の人はいないのですから、誰にでも「オリジナル」は必ずあります。そのオリジナルは、語り続けることで立ち現れるものではないか、ともおもっています。

つまり、語り続けることで「誰にも書けないことを書ける」ようにもなる。そういうことです。

まとめ

最近、2冊の専門誌からご依頼があり、記事を執筆させていただくにあたり考えていたこと。「誰でも書けることを書き、誰にも書けないことを書く」について、お話をしてみました。

誰にでも書けることであったとしても、書きようはあるし。誰にも書けないことは、どんどん書けばいい。というのは、書くこと全般に汎用性がある話だろうと考えています。

誰でも書けることを書く、誰にも書けないことを書く

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