鉄の掟はいかに造られ、いかに守られるか

鉄の掟はいかに造られ、いかに守られるか

ブログを毎日更新し続けて6年、YouTubeの毎週投稿を続けて3年。まるで鉄の掟のようだ、と言われたこともあります。ではその鉄の掟が、いかに造られ、いかに守られるか? のお話です。

目次

まるで鉄の掟、と言われた日。

鉄の掟(てつのおきて)、それは「絶対に破ってはならないルール」のこと。たとえば、このブログ。わたしは、1年365日、6年にわたり毎日更新を続けています。

ほかにも、メルマガを毎週配信6年以上、YouTubeは毎週投稿を3年以上など。それらを欠かさずに続けていることについて「まるで鉄の掟のようだ」と言われたことがあります。

どうしたら、そんなことができるのか? 鉄の意志がなせるワザなのか? などと質問をされたこともありました。が、要はそんなに難しいことではありません。

でなければ、わたしにできているはずがないのです。わたしはもともとが飽きっぽく、特段、意志が強いわけでもないでしょう。それでも、「まるで鉄の掟」なのはなぜなのか? それはいかに造られ、いかに守られるのかについてお話をしてみます。

わたしが実践していることは、おもに3つ。こちらです↓

鉄の掟はいかに造られ、いかに守られるか
  • おとしこむ
  • あきらめる
  • たのしめる

それではこのあと、順番に見ていきましょう。

鉄の掟はいかに造られ、いかに守られるか

おとしこむ

ここで言う、「おとしこむ」とは。具体的なスケジュールに落とし込むこと、をいいます。うわー、なにそのあたりまえー。と、おもわれたかもしれませんが。そのあたりまえが、だいじ。

わたしも含めて、ヒトは「あたりまえ」のことが意外とできないものです。あたりまえだとおもった瞬間に、「当然できる、当然できている」と錯覚しがちで、実践にまでは及ばない…

なので、実のところ、多くの人が「おとしこむ」ことはできていません。それはさておき、「具体的なスケジュールに落とし込む」とはどういうことか?

ブログの毎日更新を例に挙げると。わたしは、毎朝のルーティーンがおわった段階でブログを書く、ということをスケジュールしています。

朝起きて、まずはルーティーンをすませて、そのあとでブログを書く。日中ではなくて「朝」なので、ほとんどの場合、このスケジュールを崩さずにすみます。

それでもなにか朝に予定が入れば、それはそれです。別の時間帯に「ブログを書く」ためのスケジュールを落とし込みます。と言うと、「午後」とか「夜」とかを考える人が多いでしょう。

でも、わたしだったら、「さらに早朝」か「前日」を考えます。午後や夜だと、予定が狂った場合にはブログを書けなくなる可能性が「比較的高い」とおもわれるからです。

どうせ書くつもりなら、前もって書くのも同じじゃない? そのほうが安全でよくない? ということであって、そこには「鉄の意志」など存在しません。ただ、おとしこむだけ。つまり、より実行可能性が高い時間帯に、スケジュールをするだけのことです。

じぶんにとって大事なことなのであれば、それをうしろにスケジュールしてはいけない。うしろにズラしてはいけない。ズラすのであれば、前にズラす。難しいことではありませんが、鉄の掟に貢献する考え方としておすすめです。

あきらめる

ここで言う「あきらめる」とは、いったい何をあきらめるのか? ひとことで言えば、「成果」です。この点で、ヒトは何かを実行するとき、成果を求めるものでしょう。

ブログ更新の例でいえば、「多くの人に読まれたい」「多くの人に反応してほしい」など。もちろん、そういった思い自体は、ヒトとして自然なものなのでしかたありません。

が、その思いが強すぎると、成果が出ない場合には苦しむことになります。せっかくブログを書いたのに、ぜんぜん読まれないじゃないか… もう、書くのやめちゃおうかな… みたいな。

なので、成果を求めるのではなく、成果を「あきらめる」のがいいだろうと考えています。ただし、あきらめると言っても、未来永劫、成果が出ないものとあきらめるのではありません。

いまは、いますぐには成果が出ないものだ、とあきらめるだけです。わたしがおもうに、多くの人は、成果が早く出ることを期待しすぎています。そんなカンタンに成果が出たら苦労はしません。

ちなみに、早く成果を出すことを否定しているのではなく。早く出るに越したことはないけれど、どちらかと言えば、成果が出るまでには時間がかかる、という「確率」のハナシをしています。

あなたは天才ですか? だとしたら、すぐに成果を求めるのもよいでしょう。でも、わたしは天才ではありませんから、すぐに成果は求めないことにしています。

実際、成果が出たものでも、成果が出るまでには時間がかかったものばかりです。だから、「なにごとも半年はあたりまえ、1〜3年の計で考えるべし」と、じぶんに言い聞かせたりもします。

ややもすると、それよりも早く「向いてないんじゃないの?」といった他人の声があるかもしれません。早く撤退したほうがいいんじゃないの? という誘惑もあるでしょう。

そんな他人を信じるか、それともじぶんを信じるか。じぶんを信じましょう、というハナシでもあります。

たのしめる

さきほど、ヒトは成果を求めるものだと前述しました。いっぽうで、成果よりも注目すべきものがあるものと考えます。行為そのもの、です。

ブログの例であれば、ブログを書くという行為そのもの。と言ってもわかりづらいので、もう少し解説を加えていくことにしましょう。

ブログについて「成果」を求める場合には、「多くの人に読まれたい!」といった、いわゆる承認欲求につながります。その欲求にはキリがなく、満たされない感情になりやすいのは既知です。

いっぽうで、「人の役に立つブログを書く」という行為に着目し、「人の役に立つためにブログを書いている」という行為そのものを「たのしめる」のだとしたらどうでしょう?

成果の呪縛からは逃れやすくなる、というのがわたしの経験則です。承認欲求を完全にゼロすることなど、ヒトである以上はムリであっても、ちょっと遠ざけるくらいのことならできます。

承認欲求を遠ざけ、成果の呪縛から逃れることができれば、行為そのものを楽しむこともできる。楽しみ続けることができる。結果として、鉄の掟が造られ、守られるものと考えています。

だから、こうして毎日ブログを書いたり、メルマガや YouTubeなどで発信を続けることは、成果が出ない・見えないときにはツラくても、発信そのものを楽しむことはできるものです。

成果が出るか、承認欲求を満たせるかは、「他人しだい」のところがあります。その他人は、コントロールできるものでもありません。じぶんの思いどおりにするには、難易度が高すぎます。

対して、行為を楽しめるかどうかは「じぶんしだい」です。じぶんでコントロールできるという点で、難易度はけして高いものではありません。成果や承認欲求ばかりではなく、行為そのものに目を向けてみましょう。

まとめ

ブログを毎日更新し続けて6年、YouTubeの毎週投稿を続けて3年。まるで鉄の掟のようだ、と言われたこともあります。ではその鉄の掟が、いかに造られ、いかに守られるか? についてお話をしました。

要はそんなに難しいことではなく、再現性のないハナシではないものと考えます。つまり、わたしだからできるのではなくて、ほかの人にだって当然できるものだと考えています。

きょうのお話が、鉄の掟に挑むきっかけになるようでしたら幸いです。ここまでお読みいただいたということは、鉄の掟にご興味がおありのこととおもいますので。

鉄の掟はいかに造られ、いかに守られるか

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