ネタがスベるって、お笑いのハナシではありません。発信活動を続けているなかで、発信がおもいのほかウケなかった…みたいな状況について。それでも、挫けないチカラについて考えます。
いったい誰が期待をするんだ?
ネタがスベっても挫けないように、ということを考えています。といっても、わたしはお笑い芸人ではありませんから、渾身のギャグがスベるみたいな状況ではなく。
このブログや、あるいはメルマガ、YouTube、SNSでの投稿など、いわゆる「発信活動」における発信がおもいのほかウケなかった…みたいな状況において挫けない、ということです。
でないと、心が折れて、発信を続けることが難しくなってしまうことだってありますから。では、ネタがスベったときにはどうするか?わたしは、こう考えるようにしています↓
「スベってもスルーされるだけ」
これは、わたしにとっての魔法のコトバです。
スベった記憶が、見たヒトの記憶に残り続けるわけじゃないんだから気にするな、ということであり。ヒトはじぶんがおもうほど、他人に興味はないんだから気にするな、ということです。
なので、じぶんのなかに「スベった記憶」があろうとも、ヒトのなかにまで「スベった記憶」が残っていることなどほとんどない。だから、盛大にスベり散らかしても気にすることはない。
で、最近のハナシをすると。けっこう、スベり散らかしています。じぶん的には。
はじめての単著がまもなく発売されるということで、ブログやらSNSやらで告知をしたり、記念イベントを打ち出してみたりしたものの、だいぶ反応が薄いじゃないの…みたいな。
でもそれって、ただ単に期待値が高すぎるんじゃないの?という考え方もあるわけですが。「じぶんがじぶんに期待できなければ、いったい誰が期待をするんだ?」というハナシでしょう。
わたしはいつだって、じぶんには期待をしていたい。そう考えています。そして、そう考えられるだけの努力と行動は怠らないようにいるつもりです(まぁ、「つもり」かもしれませんが)。
なにはともあれ、ネタがスベったからといって挫けているわけにはいきません。なんで?
挫けていたらおわる
挫けてしまったら、「次」がなくなるからですね。わたしの場合、発信活動は仕事の一環でもありますから(仕事のためだけでもないけれど)、次がなくなるのでは困ります。
つまり、発信活動をやめてしまうようでは困るのです。だから、挫けてしまうことがないように、じぶんでじぶんを守る(というか励ます?)必要があります。
でもさぁ、次があったとして、次もまたスベるんじゃねーの?という不安も否定はできません。でもそこには、「タイミングの問題もある」と考えるようにしています。
なにかしらの成功をおさめた先人の多くが言っているように、「タイミングがよかった」という成功の要因があるのではないか、とおもうわけです。「運がよかった」とも言われています。
この点、タイミングにしても、運にしても、じぶんひとりで完全にコントロールできるものではありません。だとすれば、打席に立ち続けて、バットを振り続けるほかないでしょう。
そうすれば、いつかバットに球が当たるんじゃね?などというと、なんとも「運任せ」に聞こえるかもしれませんが。もちろん、だからこそ、努力と行動を怠ってはいけないわけです。
いつかくるかもしれないチャンスに備えて、粛々と素振りを続ける。日々のなかで、ネタがスベるのは、一生懸命に素振りをしているようなものでもあります。
そんなわけで、「スベってもスルーされるだけ」とつぶやきながら、きょうもまたスベり続けている。否、素振りにいそしむわけです。
でもさぁ、いつかくるかもしれないチャンスって、いつなのよ?という疑念をぬぐいさることはできません。もしかして、一生来なかったりして…というのはありうるハナシです。
実際に、じぶんの死後、功績が認められた偉人もたくさんいますからね。まぁ、偉人とじぶんを同レベルに置くなよ、というツッコミもあるわけですが。要は、チャンスがいつくるかはわからない、ということです。
おいおい、なんだか救いのないハナシになってきたじゃねーの。とおもわれるのであれば、まだ早い。救いのコトバ、魔法のコトバならば、まだ残されています。
コネクティング ザ ドッツ、という救い
以下、スティーブ・ジョブズさんによる「伝説のスピーチ」の引用です↓
you can’t connect the dots looking forward.
you can only connect them looking backwards.
So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.
(先を見越して点と点をつなぐことはできない。
振り返ってつなぐことしかできない。
だから、いつか点と点がつながると信じることだ。)
スティーブ・ジョブズさんのスピーチより
だ・か・ら、偉人とじぶんとを同じレベルに置くなよ。と、おもわれるかもしれませんが。それでもなお、ひとつの真理として、ひとつの心持ちとして、役には立つものと考えます。
ここで言われる「点」は、わたし流に置き換えると「スベったネタの1つ1つ」です。スベった時点では、ただただ黒歴史の1つのようのものでしかありません。
けれども、どのようなネタであっても、なにかしらの努力と行動に裏打ちされています。スベり続けるとは、努力と行動とを続けることであり、いつか成果として実るかもしれない。
ジョブズさん的には、「実るんだ、と信じるしかない」ということです。なぜなら、先を見越して、点と点をつなぐことなどできないから。結局、成果や成功とは、いつだって後付けなのです。
もっとも、スベったネタのすべてが報われるわけでもありません。いつか、点と点がつながったとしても、どこにも結ばれない点だってあるでしょう。だからこそ、点を打ち続ける必要があります。
どの点が、将来で結びつくかはわからない。どのおスベりネタが、将来で報われるかはわからない。だからきょうもまた、スベり続けようとおもいます。スベってもスルーされるだけ、そうつぶやきながら。