お正月の過ごし方=いつも以上に粛々と

お正月の過ごし方=いつも以上に粛々と

いまは、お正月の真っ只中。とはいえ、いつもどおりに粛々と過ごしています。お正月という特別感のなかにあっては、むしろ、いつも以上に粛々としているといっていい。それはなぜなのか?

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僕はかわいそうで、つまらなそうなのか。

きょうは、2024年1月2日。お正月の真っ只中にあります。

年末年始といえば、のんびり・ゆっくりもよいですが。どちらかというと、なにやらダラダラと過ごしてしまった…という後悔のほうが大きくなったりもするので、気をつけなければいけません。

この点、わたしは「お正月の過ごし方=いつも以上に粛々と」などと考えています。これを聞いて、「うわー、なんかかわいそう」とか「うへぇ、つまらなそう」と、おもわれるかもしれませんが。

まさに、人それぞれです。わたしにはわたしの価値観があって、お正月も粛々と過ごしています。

とはいえ、粛々って具体的にどういうことなのか。実際のようすをお伝えしたうえで、お正月であっても粛々としている理由についてもお話をしてみようかとおもいます。

2024年1月1日の過ごし方

わたしは、日々、分単位のログを残しているので、その日に何をしていたのかを振り返ることができます。これによれば、きのう(2024年1月1日)、どのように過ごしていたかもすぐにわかるわけです。

朝は、4時50分ごろに起きました。目覚ましを5時にセットしていますが、だいたい、それより前に自然と目が覚めます。習慣のチカラ。

ちなみに、前日の大晦日は、21時すぎには寝てました。ふだんから、22時までには寝るようにしています。早寝・早起きは、わたしにとって大事な習慣であり、年末年始は関係ありません。

で、目覚めたあとは、朝のルーティーンです。たとえば、瞑想。これもまた、毎日続けています。この時間は家族も寝ていますし、外も静かですから、瞑想にはうってつけ。

あとは、仕事の経理や家計簿をつけたり(毎朝、前日分をやってます)、RSSリーダーでいつも追いかけている情報の確認をしたり。そのあとは、1時間ほど朝散歩へ。これらもすべて日課です。

ただし、元旦ということで、妻と近所の高台まで初日の出を見に行きました。そのまま、近所の地蔵尊へ初詣。と、そこはお正月感を出してみたしだいです。

その後は、年中無休のこのブログを更新したり、年初が締切の依頼原稿6,000字を執筆したり。元日ではありましたが、家族でおせちを食べたりする以外は、夕方までいつもどおり仕事部屋で。

15時になって、ひととおり筋トレを済ませたあとは、夕方のお散歩(これも日課)兼、近所の百貨店の初売りを眺めに。お正月のフンイキは味わいつつも、とくに買いたいモノは見つからず…

目についたベーグルがおいしそうだったので、家族分を買って帰るみたいな。フツーです(笑)

その後は、夕方のルーティーンを済ませて、これまたいつもどおりのお勉強タイム。オンラインセミナー(録画)を受講しました。あたらしい分野の習得に向けて勉強中です。

そんなこんなで、またまた21時ごろには就寝。1月2日のきょうは、4時半すぎに起きて、いまは6時前。こうしてブログを書いているところです。このあとは、10km超は走りに行くつもりでいます。

あらためて、粛々としてますね。はい。

お正月でも粛々と過ごす理由

にしても、なぜ、お正月にもかかわらず、粛々と過ごしているのか。その理由について、お話をしてみます。

端的にいえば、「同じ1日だから」です。大晦日だろうと、元日であろうと、1月12日でふつうの平日だろうと、同じ365分の1日にすぎません。というか、同じ「大事な1日」です。

すごーくあたりまえのことを言っています。でも、年末年始には特別感があるので、多くの人は特別なことをしようとしたり、特別なことができると考えたりするものです。

もちろん、わたしも昔はそうでしたし、いまだってそういう部分がまったくないわけではありません。たとえば、大晦日は毎年、家族で外出して食事会をするー、とか。

とはいえ、大晦日だから夜更かしするーとか、元日だからブログはお休みーとかにはしていません。じぶんが「継続」を重視していることについては、粛々と継続をしています。

どの1日も、同じ1日だからですね。

わたしはいたって凡人なので、「他人の2日分を1日で巻き返す」みたいなことはできません。だから、日々コツコツと続けることが、じぶんが生きる道だと考えています。

だとすれば、同じ1日をできるだけ大切にすること。同じ1日を、粛々と過ごすことです。「粛々と」などというと、どこか機械的であり、つまらそうに聞こえるかもしれませんが。

わたしにとっては、そうではなくて。どの1日も同じであり、変わらずに大事だからこそ、できるだけ後悔がないように過ごすための「手段」でもあります。いつも変わらず、粛々と。

まぁ、お正月にゆっくり・のんびりすることも、1つの手段であり選択ではあります。ただ、ちょっともったいないなぁ、とはおもってしまうのですね。

やりたいことはあるし、成したいけど成せていないこともある。多かれ少なかれ、みんなそうでしょう。だから、「新年の抱負は…」といったハナシにもなるわけです。

にもかかわらず、ゆっくり・のんびりしている(果ては、飲んだくれて動けなくなっている)のは、どうにも矛盾をしているし、もったいない。きょう、いま、この瞬間から動き出したほうがよくない?というのが、わたしのおもいです。

誤解なきように申し添えますが、他人をとやかくいうつもりはありません。あくまで、じぶんの話をしています。じぶんが、ゆっくり・のんびりしているのは性に合わない。それだけです。

そんなこんなで、きょうはまだ1月2日。世の中のお正月ムードは続くのでしょうが、きょうもまた粛々と過ごしていきます。

まとめ

いまは、お正月の真っ只中。とはいえ、いつもどおりに粛々と過ごしています。

お正月という特別感のなかにあっては、むしろ、いつも以上に粛々としているといっていい。それはなぜなのか?その理由について、お話をしてみました。

こんな、お正月に水を差すようなハナシを誰が聞きたいんだ?とはおもいましたが。そういうハナシが、ひとつくらいはあってもよいでしょう。聞きたくなければ、聞かないこともできますし。

お正月の過ごし方=いつも以上に粛々と

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