ものごとを継続するのに必要なものは資質か、それとも努力か。もちろん、どちらも必要なのかもしれませんが、資質のみで片付けてしまうことがないように。努力の話をしていきます。
努力に居場所はあるか
ものごとを継続できる人と、できない人とがいます。継続すること自体の良し悪しはさておき、いちど「継続しよう・継続したい」と考えたのであれば、継続できるほうがよいわけで。
そのときに、継続できる人と、できない人との違いはどこにあるのだろうか?
先日、とある方とそんな話になり、あらためて考えてみたしだいです。
で、その方が「継続の才能・能力」的なことについて話をされているのを聞き、「たしかに、継続には、そもそも向き不向きのようなものがあるよなぁ」と納得をしましたし、わたしもまた、「あの人の継続力は特殊能力だ」みたいに感じていたこともあります。
ですから、ものごとの継続には、才能・能力といった「資質」が関わることに異存はありません。いっぽうで、資質はさておき「努力」によってなんとかなる部分もあるだろう(ぜんぶではないにせよ)、というのが私見です。
まぁ、それも「いまとなっては」との枕詞は付くわけですが。なにはともあれ、わたしがいま継続できていることについては、資質ばかりではなく「努力」も多分にあるだろうとおもっています。
などというと、なんだか「わたしは努力家です!アピール」みたいで、気恥ずかしくもあるのですが、実際に努力でなんとかしてきた過去が、実体験としてあるのだからしかたがありません。
努力を発動するために
では、継続の努力ってなんだよ?ということについて。平たくいえば、「がんばるぜっ!」という気合いにほかなりません。なんだか身もフタもないハナシに聞こえるかもですが。
それでも、ツラい局面において「なにくそ、もうひと踏ん張りだ!」という気概を持てるかどうかは、継続できるか・できないかの命運を分ける、要素の1つではあるでしょう。
とはいえ、努力はしようとおもえばできるものでもなく、努力を発動させるための「しくみ」、あるいは「環境」はとても大事なものだ、ということも考えています。
そういう意味では、しくみや環境づくりもまた、努力のうちです。わたしは、継続が困難であることを身をもって感じながら、おのずと、しくみや環境づくりに努めてきたのだといえます。
わたしの継続例の最たるものは、このブログであり、かれこれ8年ほど毎日更新を続けているところです。これが良いか悪いか、凄いか凄くないかはともかく、これだけの期間を継続できるのがレアケースなのはたしかでしょう。
ではなぜ、ブログをこれまで継続できたのか?わたしに「資質」があったとはおもいません。もちろん、多少の資質はあったのかもしれませんが、じゅうぶんな資質があったとはおもえないのですね。
その証拠に、わたしは途中、なんども「ブログをやめよう…(かなぁ)」と悩みもしました。本当になんどもです。継続の資質がある人間が、そこまで悩むものとはおもえません。
グチはおおいにこぼせばよい
ひとり悩むくらいならまだしも、わたしはグチもこぼしていました。いまとなっては恥ずかしさしかありませんが、ブログの記事としてグチを書いていたこともありますね…
そして、妻に向かってもグチをこぼしていたわけですが、その妻は「まだやめないほうがいい」といったことを言うものだから、なかなかやめられずにいた(←優柔不断)のが正直なところです。
また、わたしはブログをはじめた当初からいままで、毎日の記事を必ず、妻に目をとおしてもらっています。目的はいくつかありますが、大きくまとめれば「フィードバックを得られるから」です。
ブログをはじめた当初などはとくに、誰にも読まれていないかもしれないブログを書き続けるのもツラいもので、完全なる身内とはいえ、妻が読んでくれていたことは1つの「支え」になっていたものとおもいます。
と、限りなく後ろ向きな心持ちではあったものの、継続に対する努力(ツラいけどがんばるぞ!)ができたのは、妻に読まれるという「しくみ・環境」があったからこそでしょう。
それなら、身近に誰か、じぶんが書いたものを読んでくれる人がいればよいかといえば、そうでもなく。なかなかうまくも書けない文章を、身近な人に読んでもらうこともまた気恥ずかしいものです。
ゆえに、身近に誰かがいても、必ずしもしくみや環境にできるものでもなく、そのうえで、しくみや環境にできるのであれば、そこには努力もあるだろうと考えています。
つまり、妻の件でいえば、気恥ずかしくてもガマンをして、妻に読んでもらうようにお願いするという努力です。
じぶんなりのしくみや環境を
ここまでの話をまとめると…ものごとを継続するには、資質ばかりではなく、多かれ少なかれ努力も影響を及ぼしている。その努力には、しくみや環境づくりも含まれる。そんなお話をしました。
以上をふまえて、じぶんにも何か、しくみや環境づくりのお手伝いができないものか?ということを考えてもいます。もちろん、わたしにお手伝いできる範囲は限られますが、かつてのわたしのように「ブログをやめよう…(かなぁ)」と迷い悩む人のチカラになることはできるかもしれない。
なぜなら、じぶん自身が通ってきた道ではあるからです。そんなわけで先日、あたらしいプログラムを企画してみました。名付けて「BlogCamp(ブログキャンプ)」です↓
BlogCampについてくわしくは、先週もお話をしましたから省くとして。今回は、ものごとの継続を「資質」のみであきらめるにはまだ早いんじゃないの?と、お伝えしたく。誰かに頼るかどうかはともかく、じぶんなりのしくみや環境づくりについて考えてみるのはいかがでしょうか、というお話でした。
努力というのも、意外と精神論に終始して、「根気がないからおしまい」で片付けているケースは多いようにおもいます。繰り返しですが、努力を発動させるための「しくみや環境」というものだってあるはずです。
だから、いまいちど真剣に、しくみや環境についても考えてみることをおすすめします。