仕事は毎日ツラいけど仕方ない・・・
いまのまま働くことに、疑問を感じていたとしても。生活のため、家族のため。そう簡単に変えたり、やめたりすることができないのが「仕事」です。
ツラさを我慢して疲れた結果、「限界」を迎えるそのまえに。働くことの危険サイン、見つけましょう。
「疲れた」と言えない自分になっていないか
18年間の勤め人から、独立開業して半年。わたし自身、働くことに疲れてしまった経験を持つ一人です。そして、働き方を変えることで状況を変えました。
というか、働き方を変えることでしか状況を変えられませんでした。働き方を変えるかどうかはともかく。「疲れきってしまった自分」に気が付くことがたいせつです。
限界を示す3つの危険サイン
人間は基本的に「がんばりや」です。少々ツラくても、キビしくても。なんとかがんばってみよう、そういう人がほとんどでしょう。
がんばっているうちはいいけれど。ツラさやキビしさを、ただ受け入れるようになるのは危険です。「疲れた」ことを忘れるために、自分にウソをつきはじめる・・・わたしがそうでした。
そんなわたしが、「いまにして思えば」という限界を示す危険サインが3つ。あなたはだいじょうぶですか?
- Noと言えない、頼めない
- 帰らない、休まない
- 体に変調をきたす
Noと言わない、頼まない
1つめのサイン。ポイントは、Noと「言えない」のではなく、「言わない」。「頼めない」のではなく「頼まない」。「言えない、頼めない」は初期症状。「言わない、頼まない」は末期症状です。
これ以上はムリだろうというときも「やります」と言い。ムリにいたっても他人には頼まない。「言えない、頼めない」という「できない」ことがツラいので。あえて自分がそうしている、という意識に逃げこみます。
これはハタから見ると「アイツがんばるねぇ」ということかもしれず、周囲に救ってもらうことは難しい状況でしょう。
帰らない、休まない
2つめのサインは、1つめのサインの延長線上にあります。Noと言わない、頼まないことで溜め込んだ仕事をなんとかする。そのために、残業・休日出勤がかさみます。
「帰れない、休めない」と思っているうちはいいのですが。やはり、「帰らない、休まない」という意識に変わります。
自分でコントロールできないことはツラいから。さも自分がコントロールしているかのように、意識を変えてしまうわけです。こうなると、早く帰ることや休むことのほうに罪を感じます。おそろしいことです。
体に変調をきたす
さいごのサインは、体の異変です。だれでもありますよね、心身の疲労からくる風邪とか。ところが、ちょっと度を超えたことが起きてきます。健康な今だからこそ、感じることですが。
わたしの身に起きたことは、扁桃腺に膿が溜まり腫れあがる(入院したうえに慢性化)、ぎっくり腰、帯状疱疹。他人からすれば自己管理がなってない、気合が足りん、ということかもしれません。
自分でもそう思っていたフシがありました。でも、最後はさすがに「これはおかしいわ」と受け止めることにしました。
気分転換ができているというワナ
ところで。3つの危険サインに加えて、「気分転換のワナ」があります。
休日をアクティブに楽しんでいる、を演出する
危険サインが出ている時期でも、休日を「じっと休む」ことはほぼ皆無でした。前日から明け方まで仕事をして、早朝からテニスレッスン。そのあとはすぐに家族と外出。そんな休日の使い方もしてました。
テニスが好きだし、家族と外出するのが好きだから。そう言ってしまえばそれだけのことです。でも、そうせずにはいられなかった、という側面もあります。
仕事だけをしている自分が許せなかった。仕事もプライベートも充実している自分を演出していた、そういうことです。
仕事とプライベートの両面で自分を追い詰める
そのようにして仕事もプライベートも、実態と意識の乖離がエスカレートすれば。やはり、限界は訪れます。
限界までの許容量が大きい人もいれば小さい人もいる。でも、やっぱりいつか、限界は訪れるんです。3つの危険サインがそれを教えてくれます。心身に乱れが生じたまま、ベストを尽くすなんてムリな話です。
仕事でも成果を挙げられない、成果を感じられない。家庭に持ち込んだイライラで、家族との関係を傷つける。これはほんとうにツラいことです。
「ほんとうに疲れた」という気持ちを忘れない
3つの危険サインと気分転換のワナについて、わたしの経験をお話ししました。いずれも、自分の本音から外れたところに意識をもっていかれる、という特徴があります。
つまり。限界を迎える前に対処するには、自分の本音に早く気づくこと、本音で生きることです。しかし、それは口で言うほど容易なことではありません。
「疲れた」って言えばいい
とかく、「疲れた」という言葉はネガティブであり、使うことが躊躇される傾向にあります。たしかに、ただ口癖のように「疲れた」を連発するのはいいことではないでしょう。
ただ、
「ほんとうに疲れた」ときには心の底から言うべきです。
言っていいんです。
そこからしか、変化へのきっかけを見いだせない人だっているんです。世界は、そんなにがまん強い人ばかりではありません。たとえば、わたし。
がまん強さを装った挙句倒れていたのでは、自分はおろか、家族や会社も救われません。
世界はあなたの本音を待っている
わたしは、「疲れた」という本音をきっかけに。「働くこと」を定義しなおしました。家族と話し、職場の上司と話し。そして自分自身とも対話し、最終的に独立開業という働き方を選びました。
働き方はひとそれぞれです。ですが、「ほんとうに疲れた」と言えないような働き方は不幸です。繰り返しますが、自分だけでなく周囲にとっても幸せなことではありません。
周囲もまた、あなたの本音を待っている。たとえ、そのことで多少の揉め事が起きたとしても。それは超短期的なことであり、長い目で見れば本音を超える結果はないんです。
まとめ
ほんとうに疲れてしまった人は、本音を言えません。というか、言いません。他人にはもちろん、自分にもウソをつきます。それは非常に危険な状態です。
そんなウソには気づいて欲しいという思いから、自分自身の体験をお話ししてみました。危険サインを見つけて、あなたの本音に気づきましょう。
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きょうの執筆後記
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当ブログサイトを閲覧される方の検索ワードに、「働くことに疲れた」というようなものをみかけます。
自分の昔を思うと、ほんとうに胸が痛みます。どうか、ただただ、自分に正直にあり続けて欲しい。そのように願うばかりです。