案本/山本高史【一冊一言 #02】

案本

きょうの一冊一言(いっさついちごん)は、

山本高史さん著 『案本』

この一冊から、きょうの自分に活きる一言を。見つけ出していきます。

目次

内容紹介

著者は、クリエーティブ・ディレクター、コピーライターの山本高史さん。大手広告代理店「電通」を経て、株式会社コトバを設立。これまで数多くのキャンペーン広告を手がけ、

  • 変われるって、ドキドキ / トヨタ自動車 カローラ
  • ココロとカラダ、にんげんのぜんぶ / オリンパス
  • 未来は、希望と不安で、できている。/ 三井住友海上

などの名作コピーを生み出しています。

「ユニークなアイディアの提案」のための手がかかりは「脳内体験」にあるとし、「選ばれる案」を見つけるための「頭の使い方」について書かれています。

ユニークなアイディアの発想を求めて、わたしが手にしたこの本。コピーライターならずとも、多くの人の「発想」に役立つ一冊です。

 

きょうの一冊一言

『案本』から、わたしが見つけ出したとびきりのひとこと、一冊一言は。

受け手にとっては、まずベネフィットの質と量。ユニークであるかどうかなんて、その後。

《 021ページより抜粋 》

受け手(クライアントだったり、世間だったり)にとって。「提案」の良し悪しの判断基準は、まず「ベネフィット」だと山本高史さんは言います。

ベネフィット、つまり、その「提案」が対象にする商品なりサービスなりの「よいところ」を、クライアントは見ている。ということです。

言われてみれば、ごくごく当然といえることでありながら。いざ、提案する側に立つとき、わたしたちはしばしば「ユニーク」という魔物に憑りつかれることになります。

  • ほかの誰もやっていないことをやろう
  • ありきたりではダメだ
  • もっとインパクトがあるもので
  • フツー過ぎる

などなど。「提案」の良し悪しに、「ユニーク」であるかどうかを求めてしまう。という経験はないでしょうか。

ユニーク自体が悪いことではないけれど。やはり、その前にだいじなもの、「受け手にとってのベネフィット」があるよね。という忠告に思わずハッとさせられます。

強い戒めとして、著者はさらに次のように続けています。

” ベネフィットの質と量を約束していないユニークは、ことごとく、燃える。ごみになる。(カンプ、コンテ、企画書とかは、よく燃える)”

恐ろしや恐ろしや。自分の「提案」が燃えてごみにならぬよう、心して「ユニーク」に向き合う必要があります。

 

その他 注目の一言

一冊一言以外に、『案本』から見つけた気になる一言を。

ど真ん中のベネフィット、という勘違い

山本高史さんは、「ベネフィット」に関連することとして、次のようにも言っています。

でも、真ん中だけを見ていても、見続けていても、豊かなイメージはつくれない。

《 076ページより抜粋 》

この点について、牛肉料理用のレトルトソースの広告コピーを例に挙げています。

商品である「ソース」、ターゲットである「主婦」、材料である「牛肉」。これらはたしかに、商品の重要な「要素」ではあるけれど。それぞれを「単独で」、その「真ん中」を見ているだけではダメだと言います。

たとえば、子供の健康を気遣う母親の愛情。反面、上手に手を抜きたいという打算。主婦なら主婦という真ん中の外に、想像があり。そんな想像のすべてが、商品の全体像だとするならば。

当時、自分が作ったコピーは「真ん中しか見えていなかった」と山本高史さんは振り返っています。そのコピーは、

” いつもと同じお肉なのに、いつもと違うおいしさ ”

間違っていない、ど真ん中のベネフィット。にもかかわらず、想像力が足りない。そのせいで商品にも迷惑をかけている、と言います。

「真ん中」がなにかを決めるのはだいじなことです。でも、その「真ん中」である人や物事や事実は、その周りにある他の人や物事や事実と結びついている。単独ではない。

そういうことが理解できないことが想像力の欠如であり、「提案」のチカラを弱めてしまう。そういうことでしょう。

ちなみに、山本高史さんが「いまならこう書いた」というコピーは、

” ママがつくるよりおいしいね・・・って、どういうこと?”

商品の「真ん中」だけではなく、主婦の苦労や、家族の生活が透けて見える。想像力に溢れるコピーですね。

経験ができない、という勘違い

前述の「ユニーク」にしても、「想像力」にしても。「経験」が大事なのだと、山本高史さんは言っています。その「経験」ということについて。

つまり、「いい経験をした」というのは。「いい出来事に遭遇した」のではなく、「出来事との遭遇を通して、脳にいい経験をさせた」ということだ。

《 110ページより抜粋 》

「経験」をイメージするとき、条件が揃わないと溜まらないものだという感覚はないでしょうか。たとえば、

  • 経験は「年齢」とともに増えていく
  • 経験はいろいろな「体験」を通じて増えていく

など、「年齢」や「体験」という条件。では、歳をとったら必ずしも経験は溜まるのでしょうか。体験をすれば経験として残るものなのでしょうか。

そうでもないだろう、ということを先の言葉から感じます。

加齢や体験を経て、同じ「出来事」に遭遇したとしても。それを「いい経験」にできるかどうかは、「脳にいい経験をさせた」かどうかだと山本高史さんは言っています。

また、たとえばバナシ。「出来合いの総菜」について。食べたことがある。その事実だけ、体験だけでは「いい経験」とはいえません。そうではなく。

出来合いの総菜を、コソコソと皿に盛って出した妻。きょうはだいぶ忙しかったようだ。もしくは食事をつくるのが面倒だったのか?美味しいね、という子供。たしかにウマい。が、複雑そうにしている妻の顔・・・

「出来合いの総菜を食べた」ことから、そこまで感じてみる。事実に対して、自らの感覚を通じて、強く意識を向けて得た情報こそが「いい経験」となる。そういうことです。

出来事に対して受け身ではなく、前のめりで傾ける意識がたいせつ。これなら、「出来合いの総菜」体験も、「レトルトソース」のコピーにだって役立つというものです。

日々、「なにも無い」と言うようなことがあるのだとすれば。

それは「なにも無い」のではなく、「なにも意識が無い」の間違いであることを問いかけてみる必要がありそうです。

年齢を重ねることや、特別な体験だけが「ユニーク」や「想像力」を鍛える術ではありません。

 

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  きょうの執筆後記
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