これって経費でいいのかな?脱税と節税の違いってなんだろね?
そんなアブナイ議論に、ひとつの答えを打ち出します。
どこまでが節税で、どこからが脱税か?経費をめぐる「節税と脱税のボーダーライン」についてのお話です。
節税と脱税のボーダーライン
事業をする者にって、「節税」は実に魅力的です。税金はできるだけ少ないに限ります。
しかし、税金を減らすことに囚われるあまり。「節税」の向こう側にある「脱税」にまで、手を染めるのはいけません。
節税はOK、脱税はNG。
そんな明らかな周知の事実とは裏腹に。節税と脱税、この2つの境界線は意外とあいまいです。
ゆえに、節税だと思って脱税をしている人、自身では悪意なく脱税をしている人がほんとうにいたりします。
言わば、脱税であることに気づいていない人たち・・・自ら脱税の過ちに気づくための新機軸はないものか?
そこで。「果たしてこれは経費か否か」というよくある議論をめぐり、節税と脱税のボーダーラインについて考えてみます。
現場で役に立たない税法条文
節税か脱税か否かを考えるのならば、税法という法律に依るに決まっています。
と言うのはカンタンなのですが。
税理士などの専門家はともかく。現場で経理と格闘する多くの人たちは、税法条文を目にすることなどありえないでしょう。
ですから。現場の人たちも税法を見ればいいのに、なんてことを言うつもりはありません。
だいいち、税法の中に答えが無い、ほんとうのグレーゾーンだっていくつもあるのです。
法律が拠り所であるのは真実にしても。答えは税法の中にあるんじゃない、現場にあるんだっ!と急に叫んでみたりして。
「事件は会議室で起きてるんじゃない!」的なことを言いたかっただけです、はい。
結局、現場。結局、本人。
現場に何があるのかと言えば。それは「事実」です。ゆるぎなく本当のこと、たったひとつの事実。
名探偵のコナンくんは、「真実はいつもひとつ!」と言っていますが。真実とは本来主観的なもの。対して、事実は客観的。
ほんとうにひとつなのは、真実ではなく事実ではないのだろうか?と思ったりもして。コナンくんは完全に余談です。そう、「事実」のハナシでしたね。
事実を知っているのは、現場に居合わせた本人です。
だから、「事実」を知っている「本人」が、事実にもとづいて自分自身で、判断をすればいい。とくにグレーゾーンにあっては、むしろそれしかありません。
申告納税制度(納税者が自分で申告・納税すること)をとる日本にあっては、明かな誤りがない限り、納税者の申告内容が優先されるのです。
事実にもとづいた本人からの申告は思っているよりも強い、ということを忘れてはいけません。
この点をふまえ、節税と脱税のボーダーラインの結論を次に示します。
- 過去を省みて、策するならば「脱」税
- 未来を想い、画するならば「節」税
過去を顧みて、策するならば「脱」税
脱税だと自ら判断するための基軸。それはズバリ、「時間軸」です。自分が時間軸のどこを見て考え込んでいるのか?
まずは、「過去」を見ている場合の話から。
在りし日の領収書を前に思うこと
ここに1枚の領収書があります。
「○○旅館 宿泊代として 20,000円」
事業をしているあなたであれば。「これが経費であればなぁ」と考えることでしょう。
もちろん、これが仕事であったと言えるのであれば。なんの問題もありません。ノープロブレム。
得意先との商談、同業者の視察、取材、商品の買い付け、などなど。これが事実であれば、ピッカピカのクリーンな経費です。
しかし。
「これが経費であればなぁ」と考えた瞬間。実のところ、それはもう経費ではないでしょう。
100%とは言いませんが。おそらく、ほぼほぼ、プライベートでの宿泊というのが事実だったはずです。
「~したことにしよう」という決めゼリフ
事実が仕事であれば、「これが経費であればなぁ」とはフツーは考えません。迷ったりはしないのです。
だから迷った時点で、ほとんどの場合は「OUT」。つまり、節税ではなく、脱税。
決定的なのは「そうだ、視察旅行だったことにしよう!」という、「~したことにしよう」というセリフを口にしたときです。
これは明らかに「記憶」の改ざんであり、その後、「記録」の改ざんが始まります。
視察旅行のテイで日程表をつくっておこう。視察旅行をしたテイでレポートをつくっておこう。とかとか。
逃げ切ったつもりのヒトたちへ
そんなふうにして、それなりに整えておけば。もしかすると、税務調査も切り抜けられるのかもしれません。
税務署も「明らかな誤り」を証明する材料がなければ、あきらめざるを得ないところはあります。
それで満足ですか?
わたしに言えるのはここまでです。
自身の脱税の成果を嬉々として語るヒトもいます。しかし、それはたまたま、いままでは、見つかっていなかっただけのこと。逃げ切ったわけではありません。
そしてなにより、一番傷んでいるのは「本人の良心」です。それでも良いかどうか、満足かを決めるのは本人であって、わたしではありません。
わたしがお話をしたかったのは、節税か脱税かを測る基軸、境界線のハナシ。
過去を省みたら、脱税を疑え。そういうハナシです。
未来を想い、画するならば「節」税
さきほどの「過去」という時間軸に引き続き。こんどは「未来」を見ている場合のお話です。
そこに領収書があるか無いか
「これが経費であればなぁ」と考えたら、それはもう経費じゃないよね。ついさっき、そう言いました。
ところが。そう考える際の時間軸が異なるとき、結論は変わります。
どういうことかというと。これからのことについて、つまり、未来のことについて「これが経費であればなぁ」と考えるのであれば。
それは「節税」への足掛かりと考えることができます。
目の前に領収書があるということは、事実は起きたことであり過去ですが。領収書が無いこれからのことであれば、事実はこれから起きることであり未来です。
そんな未来に確定する事実が、「経費になりますように」と。事実の在りようを思案しようというのであれば、それがまさに節税思考です。
「これが経費であればなぁ」も、すでに領収書があるか無いかで結論は変わるのです。
節税ばかりのあなた、脱税ばかりのあなた
来月の温泉旅行。100%プライベートで、って思っていたけれど。せっかくだから前後の日程に、仕事も入れて・・・
これが事実になるのであれば。さきほどの領収書も扱いは変わります。
「○○旅館 宿泊代として 20,000円」
全部経費、とはいきませんが。全日程中、仕事の割合分は経費にしてもよいでしょう。さらに、現地までの交通費も同様に考えることができます。
経費にはできなかったはずの領収書が「一部は経費」という扱いに変わった、という一例です。
節税に想いを馳せ、未来を考えれば。未来は変化し、事実に基づいた節税は実現するのです。
大げさに聞こえるかもしれませんが。要は、先に考えるか、後から考えるかの違いです。
この積み重ねで、結果は大きく開いていきます。
脱税ばかりを積み上げたヒトと、節税ばかりを積み上げたヒト。あなたはどちらのヒトになりたいですか?
まとめ
経費か否かをめぐる、節税と脱税のボーダーラインについて話をしてきました。
テクニック的な要素もあり、マインド的な要素もあり。というのが「時間軸」による判断でした。
もちろん、税法もたいせつではあるのですが。
これはこれで意外と現場で役に立つ、というのが「時間軸」です。
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きょうの執筆後記
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