アノ人のせいだ。アレのせいだ。
そう言いたくもなるし、言ってもいい。事実、アノ人やアレのせいかもしれない。けれどそれだけじゃダメだ。
身の回りで見かける風景を例に。他者を責めるだけではダメなんだ、という自己内省を試みます。他責と自責のハナシ。
お客さまを責める税理士
わたしは大学を卒業して以来、ずっと税理士業界に居ます。ということで、税理士業界のハナシにはなりますが。他の場面で、まったく汎用性がないわけでもないでしょう。
お客さまのせいにする、という他責。
- アノ客は、メンドーばかり言う
- アノ客は、アポイントの変更が多い
- アノ客は、いつも書類をそろえてくれない
- アノ客は、いくら言っても会計ソフトに入力をしてくれない
などなど。税理士事務所に居ると、これらを耳にすることは一度や二度ではありません。
かく言うわたしももちろん、言った(思った)こともあれば、言う(思う)こともあります。
といっても税理士事務所に限らず、税理士に限らず。「お客さまのせいにする」という経験は、誰しも少なからずあるのではないかと推測します。
だから、なんなんだ?
そんなヒトのせいばかりにして、イケない人ですね。という、お説教をしようというのではありません。
それこそ他責。きょうは、わたしも含めて「自己内省」がテーマです。
自己内省を試みようとするとき、さきほどの「アノ客」発言は次のように変換されます。
- アノ客に、メンドーばかり言わせてしまうワタシ
- アノ客に、アポイントの変更を多くさせてしまうワタシ
- アノ客に、いつも書類をそろえないようにさせているワタシ
- アノ客に、いくら言っても会計ソフトに入力をしないようにさせているワタシ
アノ客にそうさせているのは「わたし」なんだ、と変換することからはじまります。
変換できなければ、アノ人にせいにしておしまい。アノ人が変わることはありません(可能性がゼロとは言いませんが)。
あとはアノ客に振り回されるか、さいごは縁を切るか切られるか。
また現れる「アノ客」
縁が切れてせいせいしたよ、なんて言っている場合ではありません。
メンドーを言う「アノ客」はまた現れるからです。それは、なぜか?
「わたし」が変わっていないから。「わたし」が変わらなければ、同じような「アノ客」をふたたび呼び寄せます。何度でも呼び寄せます。
なぜ、わたしにとってメンドーだと思わせるお客さまが引き寄せられてしまうのか?
わたしが引き寄せている、という前提で。自責の念をもって、考え直してみると。たとえば、
- 「自分にとってメンドーなこと」を周知していない、断らないから、メンドーなお客さまが集まるのではないか
- 自分の仕事の価値が低いから、かんたんにアポイント変更されてしまうのではないか
- 書類のそろえかたが不案内だから、そろえてもらえないのではないか
- 会計ソフト入力が進まないお客さま「個々の理由」をわかっていない、解消していないから、入力してもらえないのではないか
さぁ、どうでしょう。ひとつくらい、ア痛タタタと感じるところはあるはずです。
会計ソフトせいにする税理士、法律のせいにする税理士
税理士特有の風景で言うと。会計ソフトのせいにする、法律のせいにする、というものがあります。
会計ソフトも法律も「ヒト」ではありませんが、自分ではない「他者」だと言えます。
アレもできない、コレもできない
新時代の会計ソフトとして、「クラウド会計」が叫ばれて久しい今日この頃。
ITを活用した「経理の自動化」がウリのクラウド会計ですが。当初はその便利さを歓迎していた税理士のあいだにも、不満の声が聞かれるようになりました。
- 帳簿が見にくくて使い物にならない
- 操作性が悪い
- いままでの会計ソフトではできていたことができなくて不便
- 自動化した経理の結果(数字)が正しいとは限らない、結局チェックが必要
などなど、その声は高まるばかり。クラウド会計に期待するあまりの「愛のムチ」、と捉えることもできますけれど。
不満の声の核心に踏み込んでいくと、ちょっと言いすぎな気もするものです。
帳簿が見にくいのも、操作性が悪いのも、それは「税理士にとって」であり。クラウド会計を利用する一般ユーザーからすると、そうでもなかったりします。
それよりも、いままで手を出しにくかった会計ソフトに、一般ユーザー自らが手を伸ばす動機をつくった功績は非常に大きく。
ましてや、「自動化した経理の結果(数字)が正しいとは限らない」というのは、従来の会計ソフトとて同じことです。
一般ユーザー(お客さま)がただしい経理をできたか、ただしい経理ができるようになるか?
これを支えるのは税理士の仕事の範疇だと、わたしは考えています。税理士の知恵のみせどころだと考えています。
よりよいモノへの要望・要求は良いとしても、「自動化の結果」にまでソフトメーカーに責任を求めることは酷に過ぎます。他責に過ぎます。
多くのヒトが会計に興味を持ち、自ら手を伸ばしている好機が訪れた今だからこそ。
税理士の守備範囲はどこなのか?と考えながら、クラウド会計には取り組むようにしています。
法律でダメだと言っているから
お客さまからの質問・疑問について。法律に当てはめて、「それはムリ、やっちゃダメだ」というものがあります。
これについての説明がヘタだと、お客さまに不満が残ります。クレームになります。わたしも過去に経験があります・・・はい。
そのヘタな説明のひとつが「法律のせい」にする。正確には、「法律のせい」にし過ぎる説明です。法律に対する他責。
極端なハナシ、「税法にダメだと規定されているのでダメなんです」、以上。みたいな説明ですね。
税理士らしい回答ではあるのですが、いまにして思えばなんとも「想像力が欠如」した回答です。
お客さまはなんでそんな質問をしたのか?どういう経緯でそんな疑問を思いついたのか?
「ダメなものはダメだ」という結論は変えてはいけませんが、お客さまの思いに沿って回答する姿勢は大事です。
法律の可否だけで解決しようとされたお客さまは、なんだか自分がワルモノのような気がして、きっと居心地が悪いものでしょう。
自責とはちょっと違いますが、お客さま個々の「背景・経緯」を踏まえて回答する。法律だけに頼らないように、と心がけています。
ちなみに。税法でなくとも、一般に言う「規則だから、ルールだから」という話であれば、本質的にかわるところはありません。
他人を責めるヒト、自分を責めるヒト
いろいろと事例をお話してきましたが。他責が良くはないことは、皆、アタマでは理解していることでもあります。
それでも、ついつい他責が出てしまうのも。いっぽうでは、しかたのないことです。
ストレスの観点から言えば、グチるのもたいせつ。自責ばかりでは息がつまるというものでしょう。
じゃあ、どうする?
結論として、自責と他責については次のように考えています。
- グチは過程であり、結論にしない
- 結論は、「自責→他責」の順で考える
- 自責は自分へのこじつけではなく、自分にも目を向けるという姿勢が大事
グチるのOK。でも、それで終わらない。終われば、その後の変化は望めません。
ヒトは他責(ヒトのせい)が先に出るものですが、まず自責で考える。自責を考えた結果、やっぱり他責だということはあり得ます。要は、思考の順序。まず自責、次いで他責。
そして、自責にこだわるあまり、こじつけない。全部、自分のせいにしない。他者も見るけど、同じように自分にも目を向ける、という自他に公平な姿勢。
ヒトの考え方にはクセがあるものです。また、時と場合によりクセも異なります。
よくないクセであると感じるならば、それを矯正できる「軸」や「機会」を持つようにするのが良さそうだ。
ということで、本記事を通じてわたしも自己内省を試みた次第です。
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きょうの執筆後記
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