毎日書いているブログ。じぶんが伝えたいことを、読み手の方にもっときちんと伝えられるように。
そんな試行錯誤の結果、ブログを書くときに意識的・積極的に使うようになった「ワード」についてのお話です。
伝えたいことをきちんと伝えられるように、の四苦八苦
かれこれ 1,014日ほど(2019年1月26日現在)、こうして毎日ブログを書いています。
そのあいだ、わたしが書く文章も「変化」をしてきました(わたしなりに、ということですが)。もちろん、これからも変化は続くのでしょうけれど。
それはそれとして、いま、じぶんがブログを書くときに。あえて意識的に、あえて積極的に使っている「ワード(言葉)」があります。次の3つです ↓
- つまり
- たとえば
- なぜならば
これらのワードを使う目的は「伝えるため」です。言うまでもないことですが、「伝えたいことがある」からブログを書いているわけで。
読み手の方に対して、伝えたいことをきちんと伝えられるように。と、日々試行錯誤をしてきたなかで(いまも四苦八苦してますが)、あえて使うようになったワードです。
そういう意味(伝えるため、という意味)では、ブログに限ったことでもなく。文章全般に言えることでもあります。
それでは、前述の3つのワードについて、このあと順番にお話をしていきます。
僕がブログを書くときに意識的・積極的に使う「ワード」
《ワード①》つまり
つまり、というワードについて。2つの「意図」をもって使っています。
「解説」としてのつまり。そして、「言い換え」としてのつまり、の2つです。
解説としてのつまり
なにがしかの意見なり、主張なりを書くときには、まず「端的」な表現がいいだろう。と考えています。
逆に、ダラダラとした文章からはじまると。読み手は、その文章の「結論」が見えるまでのあいだイライラするのかな、と思います。
なので、まずは短い文章で、意見・主張の「大枠(全体像)」を提示する。読み手に、早く結論を知ってもらう。
ただ、文章が短い分だけ、伝えられる情報量は限られてしまいますよね。
そこで、伝えきれなかったであろう分の「解説」として。「つまり」というワードを挟んで、そのあと、長めの文章で解説を入れる、という使い方をしています。
言い換えとしてのつまり
1つのことを伝えるのに、1つの表現だけでは伝わらないかもしれない。と考えることがあります。
そんなときには「つまり」のワードを挟んで、1つのことを、別々の2つの表現で伝えるようにしています。
ヘタな鉄砲、数撃ちゃ当たる的でカッコ悪いのですが… いまのわたしの表現力・語彙力の限界を補うための「つまり」の使い方のひとつです。
《ワード②》たとえば
たとえば、というワードについて。2つの「意図」をもって使っています。
「例示」としてのたとえば。そして、「証明」としてのたとえば、の2つです。
例示としてのたとえば
じぶんのことを棚に上げて言いますが。他人が書いた文章を読んでいて、抽象的なことだけしか書かれていないと、具体的なイメージができないことがあります。
そんなときには「たとえば、どういうこと?」と思うわけです。たとえば、を知りたい。
だからじぶんも、抽象的な表現をしたときには、なるべく「たとえば」を書くように心がけています(心がけだけになっている箇所があったらすみません)。
「例示」としての「たとえば」は、使い方としてはポピュラーですが。意外と使われていない、という点には注意が必要でしょう。
証明としてのたとえば
他人が書いた文章を読んでいるときに、「ホントにそんなことある?」と思うことがあります。
けれども、そこに「たとえば」が添えられていると、「あぁ、あるね、あるね」と納得できます(もちろん、納得できる「たとえば」であれば、ですが)。
逆に、「たとえば」が添えられていないと、なんとも言えない消化不良を感じることになる。
というわけで。じぶんがした発言内容の「証明」として、「たとえば、〇〇が挙げられます」などの使い方をするようにしています。
《ワード③》なぜならば
なぜならば、というワードについて。2つの「意図」をもって使っています。
「根拠」としてのなぜならば。そして、「説得」としてのなぜならば、の2つです。
根拠としてのなぜならば
もうずっと、じぶんのことを棚に上げて言いますが。他人が書いた文章を読んでいるときに、「え、どうして?」と思うことがあります。
ノウハウはたくさん書いてあるけれど、いったいそれはどうしてなのか? なぜそうなるのか? と首を傾げることもあります。
書かれていることについて、理由がわからず、納得ができないというケースです。もちろん、わたしの理解不足ということは否定できませんが…
けれども、書き手がわたしのようなヒトも「読者のひとり(読者ターゲット)」だと想定しているのであれば、わたしの理解不足だけを攻めるわけにもいかないでしょう。
つまり、書き手に「伝えようとする努力」が不足している、ということです。
と、エラそうなことばかりを言ってもいられませんので。わたし自身、意見なり主張なりをするときには、その「根拠」として、「なぜならば〜だからです」と書くようにしています。
説得としてのなぜならば
なにごとにおいても、意見や主張をすれば「反論」はツキモノです。
たとえば、わたしはよく「おカネは借りられるときに借りられるだけ借りたほうがいい」などと言っていますが、「反論」があろうことは目に見えています。
その反論を無視していては、伝えたいことを伝えることはできません。
そこで、「反論」を想定して、その反論に対する「説得」になるように、「なぜならば〜」を使うことがしばしばあります。
もっとも、これですべてを説得できるわけでもありませんし、そもそもすべてを説得することが必要なわけでもありません。なぜならば、意見や主張は、ヒトそれぞれだからです。
わたしの意見や主張を、読み手の方に「同意・賛成」してもらうことがだいじなのではなく。「そういう考え方もたしかにあるよね」と、「認知・理解」をしてもらうことがだいじだと考えています。
したがって、さきほど「説得」と言ったのは、「認知・理解」までのレベル感だ、ということです。
そのうえで、読み手の方がじぶん自身の意見や主張について考えるきっかけになるのであれば。それはわたしにとって、ブロガー冥利に尽きるというものです。
まとめ
ブログを書くときに意識的・積極的に使っている「ワード」についてお話をしてきました。
ブログに限らず、文章を書くのであれば。伝えたいことを、読み手にきちんと伝えるために。3つのワードを使ってみるのはいかがでしょうか。
- つまり
- たとえば
- なぜならば