忍耐弱くありたい、という人はそうそういないことでしょう。
そこで、忍耐力を身につけるために。日常をちょっとだけ変えてみる、というお話をしてみます。
滝に打たれる… のも何か違う
忍耐強くありたい、わたしはそう考えています。
物事をすぐにやめてしまったり、投げ出してしまったり、あきらめてしまったり。そういうことはしたくない。忍耐強くありたい。
もっとも。忍耐弱くありたい、という人はそうそういないとは思いますが 。
とはいえ。忍耐力を手に入れるといっても、たとえば滝に打たれるというのもタイヘンなものですし。日常から見ると「一過性のイベント」に過ぎないとも言えます。喉元すぎればなんとやら。
だから、そうではなく。日常のなかで、忍耐力を身につけるにはどうしたらいいか?
そこでやっているのが、「日常をちょっとだけ変えてみる」ということです。具体的にはこちらになります ↓
- 雨でも〇〇する
- 左手で〇〇する
- 毎日〇〇する
- 声で〇〇する、立って〇〇する
- 5分でも〇〇する
それではこのあと順番に見ていきましょう。
忍耐力を身につけるために日常をちょっとだけ変えてみたこと
雨でも〇〇する
わたしは、ランニングが趣味であり、習慣でもあります。
では、雨の日にはどうしているかというと。やはり、ランニングをします。雨だから走らない、ということにはしていません。
以前は、雨が降れば当たり前のように走らずにいたのですが。それを変えました。「雨だから〇〇しない」という日常を「雨でも〇〇する」に変えたわけです。
雨だから〇〇しない、ということになると。それは、環境に左右されていることになります。環境に対して忍耐弱い、ということでもあります。
だから、環境に左右されることがないように。「雨でも〇〇する」ことが、忍耐力を鍛えるトレーニングになる。そう考えています。
同じように。雨だから出かけたくないな、というようなこともあるでしょう(わたしはあります)。
けれども雨には雨の良さがあるもので。人が少なくて空いているとか、コロナウイルスも湿気で飛散しにくいのではないかとか(最低限、出かけなくてはならないこともありますし…)。
そう考えると、雨の日だからこそ出かけてみようかとも思えるものです。
これに関連して私が好きな名言がありますこちら。
だいたい天地自然が公平につくりだした日に、ある日が良くってある日が悪いなんてことあるかい。
中村天風さん / 思想家
つまるところ、晴れの日だろうが雨の日だろうが同じ一日。良いも悪いもない。環境のせいにしない。環境に対して、忍耐強くありたい。そう考えています。
左手で〇〇する
わたしは右利きですが、あえて「左手で〇〇する」ということがあります。
たとえば、パソコンのトラックパッド(マウスは使いません)は左手で操作する。スマホは左手で操作する。歯磨きは左手でする、などです。
これらは利き手である右手でやるのが以前の日常でした。それをいまは変えています。
なぜそんなことをしているか? と言うと。
たとえ小さなことであっても、じぶんで決めたことをやり続けることで、「自己抑制力」や「意志力」が高まるということが研究結果から分かっているからです。
自己抑制力や意思力が高まれば、じぶんが決めた目標に対して忍耐強く取り組むこともできますよね。
だからわたしは、「なんでも右手(利き手)」という日常をちょっとだけ変えて。左手で〇〇する、ということに取り組んでいます。
ちなみに。左手でご飯を食べる(箸を使う)ことにもチャレンジしてみましたが。その難しさに挫折をしました(そこは忍耐強くないですが…)。いずれまた折を見て取り組むつもりです、はい。
[ad1]毎日〇〇する
わたしには「毎日〇〇する」ということがあります。
いわゆる、毎日のルーティン。細かいものまで含めると相当の数がある。そのなかから1つ例を挙げるとすればこのブログです。
毎日ブログを投稿するというのは、わたしにとって、毎日のルーティンになっています。
雨の日も風の日も、平日も休日も、盆暮れ正月も、1年 365日 毎日ブログを投稿し続けて。きょうで4年と3ヶ月になりました。
生きていれば(という言い方も大げさですが)毎日いろいろあるもので。毎日いろいろあるなかで、毎日必ずブログを投稿し続けるというのはなかなか忍耐力の要る行為です。
予定が詰まっている(詰めたのはじぶんですが)日もありますし。何かを深く考えるには、疲れている日もあります(ブログを書くにはそれなりに深く考える必要があります、わたしの場合)。
正直、気分が乗らない日だってあります。
それでも予定をやりくりしたり、試行錯誤で時間をつくり出したり。できるだけ心身を整える生活スタイルを考えたり。気分は無視して行動する、という考え方をじぶんに言い聞かせたり。
結果として、毎日ブログを投稿し続けることで、忍耐力が鍛えられた。と、感じているところです。
ブログを投稿するということに限らずですが。「毎日〇〇する」という、あたらしい日常を取り入れてみるのはいかがでしょうか。
声で〇〇する、立って〇〇する
いましがたブログの話をしましたがブログがらみでもうひとつ。
この記事は「声」で書いています。声で書く、つまり、音声入力です。
音声で「入力」をしたうえで、そのテキストをテキストエディタに貼り付けて「編集」をする。という流れです。
これに対して、以前は「すべて手入力」が日常でした。その日常を変えて、「声で〇〇する」という事を取り入れています。
ほかにも、声でメモを取ったり。声で家電を操作したり。
元々は「声」よりも「手」のほうが慣れていたところです。けれども、その慣れが「脳」には良くないという話があります。手慣れたことばかりをやっていると、脳には余裕が生まれ、余計なことを考えてしまいやすい。
余計なことを考えれば、効率が下がったり、気分を左右されたりもするでしょう。結果として、目の前のことに集中できない。忍耐弱い状況になりやすい。
これを避けるために。いままでの日常をちょっとだけ変えて、「声で〇〇する」を取り入れています。
また似たようなところで、「立って〇〇する」も取り入れています。具体的には、立ってメルマガを執筆する、立って本を読むなど。
「MOFT Z」というパソコンスタンドを使って、立ってメルマガを執筆するということがあります。本を読むときには、あえて立ち上がり部屋のなかをウロウロしながら読むこともあります。
これらは、前述した「声で〇〇する」と同じ意図もありつつ、単純に「気分転換」ということもあるわけですが。いずれにせよ、物事を忍耐強く続ける助けになるものと考えています。
[ad1]5分でも〇〇する
忍耐力を鍛える方法のひとつとして、「5分でも〇〇する」ようにしています。
たとえば、本を読む。
わたしは本を読むのが好きでもありますが、それとは別に、仕事に必要な事としての読書もあります。ですから、継続的に読書を続けることが必要です。
とはいえ。ちょっと予定が詰まっていたりすると、読書が後回しになってしまう。そんなことはあるもので。
時間がないからしかたない… と考える日常もありました。でもいまは、「5分でも毎日読書をする」という日常に変えています。
たとえわずかな時間だとしても、決めたことを継続できるという点では、忍耐力だと言えるでしょう。
また、たとえ5分でも、「読み進めている」ということは、事実であり成果でもあります。
1日5分を 365日続ければおおよそ 30時間です。30時間の読書をするかしないかでは、「大きな差」が出ることは言うまでもないでしょう。
この「5分でも〇〇する」は、「なかなか手がつけられないこと」についても取り入れるようにしています。
いろいろな理由があって、手がつけられない・手がつけにくい… ということもありますよね。手がつけられないから、いつまでたってもタスクリストのなかに残り続けている。みたいな。
だから、そういうものについては、やはり5分でも手をつけてみるようにしています。不思議なもので、いちど手をつけてみると、その先は進められたということはあるもので。
忍耐強く、物事に取り組めるように。たとえ5分でも、たとえちょっとでも、手をつけてみるのはおすすめです。
まとめ
忍耐弱くありたい、という人はそうそういないことでしょう。
忍耐力を身につけるために、日常をちょっとだけ変えてみるのはいかがでしょうか。
- 雨でも〇〇する
- 左手で〇〇する
- 毎日〇〇する
- 声で〇〇する、立って〇〇する
- 5分でも〇〇する