継続するには、その目的が大切だ。というハナシもありますが。継続の目的が継続だっていいんじゃないの? ということで、その理由についてお話をしていきます。
行為の目的化って、なんだっけ?
ものごとを「継続する」ことについては、ちょっとした自負があります。などと言うと、「エラそうに」とおもわれるかもしれませんが。
たとえば、このブログは 2,344日のあいだ毎日更新を続けていますし、メルマガは 2,178日のあいだ毎日配信を続けています(2022年9月17日現在)。
これは、エラそうにしているわけではなくて「事実」です。ほかにも、運動・睡眠・食事といった健康面や、読書・勉強などの学習面などについても、継続していることはそれなりにあります。
なので、ときおり聞かれることがあるのが「継続のコツ」です。いったいどうしたら、ものごとを継続することができるのか?
そのコツをひとことで言うのであれば、「継続の目的は継続でかまわない」です。
いっぽうで、よく言われるのが「継続するには、その目的が大切だ」ということであり、「ただただ継続するのであれば、行為(手段)の目的化にすぎない」とも言われます。
たしかに、それも1つの考え方です。わたしも、そんなふうに考えた時期はあります。が、いまは「継続の目的は継続でかまわない、ただ継続するだけでもよい」というのが、わたしの考えです。
その理由は、次のとおりになります↓
- 継続はチカラなりに嘘偽りはない
- ほっといてもやめるときはやめる
- 結果はいつも遅れてくる
- 負荷をかけ続けられる
それではこのあと、順番にお話をしていきます。
継続の目的は継続でかまわない理由
継続はチカラなりに嘘偽りはない
まずは、言うまでもないことを言っておきます。継続はチカラなり、以上です。
以上ではありますが、さすがに、もう少しだけ解説しておきます。というか、解説させてください。「継続はチカラなり」には、「少しずつでも続けていれば、いつか成果が出る」といった意味があります。
これを聞いて、「そんなのキレイごとだ!」と切って捨てるようなことを言う人は、継続をすることができない人、継続をあきらめたい人の「言い訳」です。
と、なかなかにキツめの言葉を放ってはいますが。なぜなら、わたし自身が言い訳をしていた張本人だからです。キツめの言葉は、過去のじぶんに対する戒めの言葉でもあります。
継続をしてみておもうのは、まさに「継続はチカラなり」だということです。文章を書くことについては「抵抗が減り、以前よりも速く、わかりやすい文章が書ける」ようになりました。
数km走るのも難儀だったのに、ランニングを続けているうちに、10km〜15kmはあたりまえ。フルマラソンも完走できるようになりました(どういうわけか、速くはなりませんが…)。
継続しようと考えて始めたなにかが、「(方向性として)決定的に間違っている」ということはないでしょう。じぶんなりに意味があるとおもって始めたことであれば、継続することで得られるチカラはあるものと考えています。
ほっといてもやめるときはやめる
継続するんだといちど決めたことは、とにかく継続するよう努めるべし! というのは、いまのわたしのポリシーです。
これを聞いて、「そんなことを言うけれど、なかには継続しなくたっていいこともあるんじゃないの?」とおもわれるかもしれません。それは、そのとおりです。
わたしも、すべてを継続してきたわけでもなく、継続できたわけでもありません。そうなんです、ほっといてもやめるときはやめるんです。ヒトの意志の強さは「そのていど」だとも言えます。
だからこそ、継続することにこだわったほうがいいだろう、というのがわたしの考えです。どちらかといえば、やめるときにはやめてしまう、やめてしまいがちなのがヒトなのですから、少しは継続に躍起になるくらいでちょうどいい。そんな感じです。
この点で、じぶんが「継続する」ことにどれくらい躍起になっているか、どれくらいこだわっているかは、確認をしてみてもよいでしょう。確認の「基準」は、継続するための「しくみ」がどれだけあるか? です。
ヒトの心(意志)は弱いものだとすれば、頼るべきは「しくみ」。そのあたり、こちらの記事も参考にどうぞ↓
結果はいつも遅れてくる
さきほど、継続はチカラなりと言いましたが。1つ、注意点があります。それは、「結果はいつも遅れてくる」ということです。
わたしが知る限り、結果や成果は、じぶんがおもっているほど早くはやってきません。ブログで成果を感じるようになった(仕事に繋がった)のにも1年ほどかかりましたし、YouTubeもやっぱり1年くらいはかかりました。
言うまでもありませんが、運動やダイエットなども、すぐに成果が出るものではありませんよね。でも、多くの人は始めたらすぐに成果を欲しがります。そして、なかなか出ない成果にいらだち、「継続に意味はない!」とあきらめるわけです。
でも、継続には必ず意味があります。これは感情論ではなくて、事実です。「継続に意味はない!」は感情論ですが、「継続に意味がある」のは事実なんですね。
練習を続けることで、逆上がりができるようになったり。勉強を続けることで、テストの点数が挙がったり。だれにでも、継続がチカラになった「経験」があるでしょう。
ただ、そういった結果や成果は、いつも期待どおりの速さでやってくるわけではありません。どちらかといえば、期待が大きすぎる分だけ、実際には遅れてやってくるものです。
それがわかっていれば、「ただ継続すること」にも耐えやすくなります。
負荷をかけ続けられる
そうは言っても、なかなか結果がでない、成果がでない… ほんとうに続けることに意味なんてあるのか? と考えてしまうのは、「継続あるある」です。わたしも、よく考えます(笑)。
ところが、おもっていたのとは別のところにあらわれる結果や成果があることを忘れてはいけません。たとえば、わたしはブログやメルマガなどが習慣化したことで、時間のつかい方が改善しました。
ブログもメルマガも毎日時間を必要とするので、そのほかの時間のつかい方が悪いと、ブログもメルマガも続けられなくなってしまいます。なので、どうしたら時間を有効に使えるか? を試行錯誤せざるをえず、結果として「時間のつかい方が改善する」という成果をえられました。
継続することがあることで、じぶんに「負荷」がかかり、その負荷が別の成果に繋がったのだと考えています。
負荷と言えば、継続することで「メンタル」にも負荷はかかるものです。継続は「もうやめちゃおうかなぁ…」というじぶんの気持ちとの戦いでもありますから、おのずとメンタルは鍛えられます。
ただ継続するだけだとしても、負荷をかけ続けられるのはメリットです。そういう意味では、定期的に習慣を増やしてみるのもよいでしょう。わたしも折を見て、あたらしい習慣を増やすようにしています。
まとめ
継続するには、その目的が大切だ。というハナシもありますが。継続の目的が継続だっていいんじゃないの? ということで、その理由についてお話をしてきました。
継続するかどうかで迷ったときには、四の五の言わずに(考えずに)、とにかく継続することに集中してみるのもよいのではないでしょうか。迷っているということは、「継続に意味があるのではないか?」と考えているからです。
やらずに後悔をするより、やるだけやって後悔をする道もあります。どちらの道を選ぶかは、人それぞれです。
- 継続はチカラなりに嘘偽りはない
- ほっといてもやめるときはやめる
- 結果はいつも遅れてくる
- 負荷をかけ続けられる