ブログの毎日更新をはじめたのは、いまから1,000日前の2016年4月18日。
そのころを振り返り、ブログ毎日更新1,000記事を続けるのに「必要なかった」ものについてお話をしていきます。
たかが1,000日、ただの通過点。されど…
ブログの毎日更新をはじめてから、きょう(2019年1月12日)でちょうど1,000日になります。
たかが1,000日、ただの通過点ではある。いっぽうで、されど1,000日、という特別感は否めない。
そんなわけで、ブログの毎日更新についてあらためて振り返ってみました。
ひとまず 1,000日も(わたしからすれば「も」の実感あり)書いてはきたけれど。
よくよく考えてみたら、「これ、必要なかったな。なくてもだいじょうぶだったな」というものを挙げてみました。次の5つです ↓
- 空いている時間
- 強い精神力
- 確固たる目的
- 目に見える成果
- 文才、おもしろさ
それでは、このあと順番に見ていきましょう。
ブログ毎日更新1,000記事を続けるのに「必要なかった」もの
空いている時間
ブログ記事を書くにあたり、おおむね「毎日2時間半」の時間をかけています。
2時間半が多いか少ないかは別として。ブログを毎日更新しようというのなら、「時間」が必要になります。
とはいえ。その「時間」がはじめからあったのか? といえば、そんなことはありません。
もともと「ブログを書く」という習慣もなければ経験もないのですから。ブログを書くための時間などあるはずがない。
だからもしもあなたが、「これからブログを毎日書きたいけれど、時間がとれるかなぁ…」と言うのなら。
その心配はいりません。空いている時間はなくても、時間を空けることはできるからです。
わたし自身、1日24時間という「変わらない前提」のなかで、1,000日前のある日を境に2時間半という時間を空けることができました。
もちろん、時間を空ける・空け続けるためには「それなりの工夫」や「それなりのしくみ」は必要ではありますが。
少なくとも、目の前に「空いている時間」がないからといって、それがブログの毎日更新を妨げることはありません。
強い精神力
ブログをはじめる前、あるいは、はじめたばかりのわたしであれば。
1,000日ものあいだブログを毎日更新し続けるヒトを見て、「なんとまぁ強い精神力の持ち主か!」と感じたことでしょう。
では、いま現在。1,000日更新し続けたわたしが、強い精神力の持ち主か? というと。残念ながらそうではありません。
事実、これまでのあいだ、いくどとなく「ダメだ、もう書けない」「ブログやめようかなぁ」と弱音を吐く場面がありました。よ、弱い…
正直なところ、いまもなお、弱音を吐きたくなることはあります。
ただ、弱音を吐く・吐きたくなるいっぽうで、更新が続かない・ブログをやめてしまうのが怖い。だから毎日書いている。そういう弱さ、臆病な気持ちがあります。
ですからもしもあなたが、「ブログを毎日書きたいけれど、わたしは弱いからなぁ…」と言うのであれば。弱いのもけっこう、臆病もけっこうじゃないか、と思います。
もちろん、強くあろうとする努力は欠かせませんけれど。強い精神力がないからといって、それがブログの毎日更新を妨げることはありません。
確固たる目的
さきほど、「弱さ・臆病」について触れました。更新が続かない、ブログをやめてしまうのが怖い、というハナシです。
それじゃあ、ただブログを続けたいがために書くのか? それはもう「行為が目的化している(目的なき行為)」のではないのか? と思われるかもしれません。
否定はしませんが、「それはそれでかまわない」とも考えています。
なぜなら、「毎日書く・毎日更新する」と決めた者にとっては、毎日書く・毎日更新するという行為がなければ、なにもはじまらないからです。
わたし自身、毎日書き続ける・更新し続けることで見つけた、いわば「後付け」の目的、のようなものもあります。って、あまり褒められたことではないですね。
もちろん、はじめから「〇〇のために」というはっきりとした目的があるのがいちばんですが。はじめのうちはっきりせずとも、続けてさえいればあとから見つかるものもある、という一例です。
だからもしあなたが、「ひとまずブログを毎日書いてみたい、目的はイマイチはっきりしないけど」と言うのなら。ひとまず書いたらよいだろう、とわたしは思います。
いま確固たる目的がないからといって、それがブログの毎日更新を妨げることはありません。
目に見える成果
ブログを続けるにあたり「目に見える成果」があれば、それは励みになることでしょう。
たとえば、ブログからの仕事が増えるとか、ブログのページビュー(閲覧者)が増えるとか、広告収入・アフィリエイト収入が増える、とかとか。
実際、ブログを続けていると、そのような目に見える成果はあります。けれども、「その成果はじゅうぶんか?」と聞かれたら、じゅうぶんではありません。
「じゅうぶんでない」とは、じぶんが思うに、ということなのですが。毎日これだけの時間をかけて更新しているのにもかかわらず、成果はこんなものか… みたいな。
とくに、ブログをはじめた当初などは、ほとんど成果もなく(あくまでわたしの場合、ですが)。やれやれ、と肩を落としたものです。
いまはいまで、もうちょっと成果をあげられてもいいんじゃなかろうか? と首をひねるわけですが、まだまだ努力が足りない・修行が足りないということなのでしょう。
それはそれとして。目に見える成果がじゅうぶんではなくとも、ブログの毎日更新が続いている現実があります。
なぜならば、じぶんの励みになるような成果は、目に見えるものばかりではない。直接、視覚で捉えることができない成果もあるし、数字で測ることができない成果もある。そう、気付いたからです。
だから、目に見える成果がない、じゅうぶんではないからと言って、それがブログの毎日更新を妨げることはありません。
文才、おもしろさ
ほかの人が書いたブログを読んでいると、「とんでもない文章力だな!」とか「冗談がうまくてお話しじょうず!」とか「視点がすばらしくおもしろい!」と驚くことがしばしばあります。
かたや、わたしはと言うと。文才などもちろん持ち合わせていないし、冗談だっておもしろくない(そもそも冗談だと思われないらしい…)。視点が特別に目新しいわけでもありません。
それではきっと、さぞかし読んでもらえないのだろう。読んでもらえなければ書きがいもないのだろう、と、思われるかもしれませんが。
そんなわたしでも、決して少なくはない数の方々に記事をお読みいただいており、書きがいをもってブログを書き続けているしだいです。
だから、こう考えています。「文才」や「おもしろさ」があったらいいなとは思うけど、なければないでもだいじょうぶ(というか、しかたない)。代わりになるような「軸」があればやっていける、と。
わたしにとっての軸は、「わかりやすさ」です。専門的な内容を、それを求める専門家ではない人たちに、いかに易しく伝えることができるか。
この軸を見つけることができたおかげで、ここまではなんとかやってこれた。わたしはそういう解釈をしています。
文才やおもしろさがないからといって、それだけで読んでもらえないということはないし、それがブログの毎日更新を妨げることはありません。
まとめに代えて 〜記念セミナーやります
ブログ毎日更新 1,000記事を続けるのに「必要なかった」もの、についてお話をしてきました。
毎日更新は誰にでもできる、などと言うつもりはありませんが。特別なヒトにしかできない、ということはないと考えています。
だって、まったくのゼロからブログをはじめたわたしでも、ひとまず 1,000日まではたどり着くことができたのですから(まだ続けるつもりでやっています)。
だからもしあなたが、「毎日更新やってみたいな、でもできるかな…」と迷っているのなら。やってみたいという「好奇心」をだいじにして、スタートされてみてはいかがでしょうか。
本記事では、毎日更新に「必要なかった」ものをテーマにしましたが。そのウラ側で「必要だった」ものも、やはりあります。
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