多くのヒトが抱える問題のひとつ、「時間がない」。
わたしが「時間がない」を根本から解決するために、必要だった3つの考え方についてお話をしていきます。
「時間がない」を精神論で片付けることはできない。
2020年の終わりに、こんなブログ記事を書きました↓
この記事のなかで、忘れてしまうべき言葉として「いそがしい」を挙げています。「1日は24時間」と限られているわけで。限られているモノに「不足」はツキモノです。
だから、時間もまた不足する。いそがしい。時間がない、ということになってしまう。
それでも、かつてのじぶんに比べれば、「時間がない」はだいぶ解決に近づいているものと感じています。ではなぜ、解決に近づくことができたのか?
それはあるとき、3つの「考え方」に気がついたからです。もう「いそがしい」なんて言わないぞ! という「精神論」ばかりではなく、「理屈」でもって解決する。具体的には次のとおりです↓
- 時間を失くしているのはじぶんのせい
- 時間がない、はカッコ悪い
- 時間がないならやめればいい
というわけで。「時間がない」を根本から解決するために必要だった3つの考え方について、お話をしてみます。
「時間がない」は、多くのヒトが抱えている問題かと思います(わたしもまだ完全には解決していません)。本記事がなにかしらのヒント、きっかけになれば幸いです。
それではこのあと、順番に見ていきましょう。
「時間がない」を根本から解決するために必要だった3つの考え方
【考え方1】時間を失くしているのはじぶんのせい
ヒトが言う「時間がない」という言葉には、どこかしら「他責」の響きがあります。それはあたかも、時間みずからがない、みずからなくなっているかのようです。
ところが、実際は違います。時間がないのではなく、時間を失くしているにすぎません。だれが? じぶんが、です。じぶんで時間を失くしているのです。
予定していた仕事が終わらなくて時間がないのは、じぶんの段取りが悪いから、見積もりを誤っているからです。急な電話やメールの対応で時間がないのは、「急」をブロックしていないじぶんのせいです。スケジュールがつまっていて時間がないのは、もちろん、スケジュールをつめすぎたじぶんのせい。
というわけで、時間がないのはぜんぶ、すべからくじぶんのせいです。まずはここを認めることができないと、「時間がない」を解決できません。じぶんのせいだと思えなければ、解決への道は開かれない。
わたしは、そこに気がついてからは、徹底的に「時間管理」を考えるようになりました。
毎朝の段階で、向こう24時間のスケジュールを分単位で組み上げる。スケジュールに沿って実行する。スケジュールとズレたところは検証する。対策を講じて、次回以降のスケジュールに活かす。以下、その繰り返し。
この「時間管理」によって、わたしはいっそう「時間を失くしているのはじぶんのせい」だと確信を強めて、「時間がない」の解決に主体的に取り組めるようになりました。
いちばんマズイのは、行きあたりばったり、出たとこ勝負で「次の1分」を過ごすことです。
ヒトは油断をすると、次の1分をムダにする生き物だ。すくなくとも、わたしは、油断をするとムダにしますね。自慢じゃないけれど、自信があります。その1分が積み重なって、「時間がない」わけです。
とにかく、そういう自覚があるので、ハタから見ると少々狂気じみた時間管理を受け入れているし、楽しんで取り組んでいるところです。
【考え方2】時間がない、はカッコ悪い
その昔(5〜6年くらい前まで)は、「時間がないのはカッコいい」と思っていました。じぶんでもハッキリとは認識していなかったのでしょうが、そのときの言動を省みるに、そう思っていたとしか思えません。
絶えず周囲に対して「時間がない・いそがしい」を口にしていましたし、「時間がない・いそがしい」のオーラをこれでもか! というくらい身にまとっていたはずです。
これはもう、「時間がないのはカッコいい」と思っていたのに違いないでしょう。
そんな昔を思い出すと、顔から火が出るくらい恥ずかしいです。さすがに火は出ないけど、冷や汗くらいなら出そうです。とにかく、恥ずかしい。
さきほどもお話をしたとおり、「時間がないのはじぶんのせい」です。「時間がない」と言うことは、わたしは「じぶんで時間を失くしています」と言っているのと同じです。時間を失くしているけれど、それをどうにもできずに放置しています。そう言っているのと同じです。
どう見ても、カッコ悪すぎではないでしょうか。
わたしの場合、「じぶんはこんなに忙しいんだ。スゴいだろ」「こんなに忙しいんだから、気遣ってくれよ」みたいなエゴもあったように思います。ここまでくると、カッコ悪いの極みです。
さらには、いそがしいことがあたりまえになり、いそがしいことに「安心」まで感じるようになると、「メンタルがかなりやられている」と言っていいでしょう。メンタルがやられると、カラダもやられます。
わたしは帯状疱疹になったり、扁桃周囲膿瘍なる症状で入院をしたりもしました…
というわけで。時間がないことをカッコいいとは考えない。もしいま、そう考えているのであれば。いちど考えをあらためて、「時間がない、はカッコ悪い」と、考えなおしてみることをおすすめします。
【考え方3】時間がないならやめればいい
時間がない! と感じるときの状況を思い出してみましょう。じぶんは、どんなときに「時間がない」と感じているのか?
わたしはこれで、スゴいことに気がつきました。あまりのスゴさに、ちょっと鳥肌が立ったくらいです。と、ずいぶんハードルを上げてはいますが。
なにに気がついたのかと言うと。「時間がない」と感じるときには、往々にして「やらなくていい・やりたくないこと」をやっているものだ、ということです。
逆に、じぶんがやりたいこととか、楽しいことなんかをやっているときに、「あぁ、時間がない」と口にすることはあまりないでしょう。わたし自身、振り返ってみてもそうなんですよね。楽しいことやりながら、「時間がない、困った」とか言いません。
ということは。わたしたちが「時間がない」と感じているときには、「ほんとうはやらなくていい・やりたくないこと」をやっているかもしれない。そういうことです。
あぁ、仕事が終わらない。時間がない、と言うのなら。もしかすると、その仕事はやらなくていいのかもしれない。やりたくないけどやっているのかもしれない。と、考えてみるといいでしょう。
もちろん、目の前の仕事を突然放り投げるわけにはいきませんから。それでも、「中長期的にはやめるべき仕事」として位置づける。すこしずつでもやめていく方向にシフトすることはできるはずです。
なにかの集まりや会議などの呼ばれて、「時間がない」と感じる。やはり、その集まりや会議は、じぶんにとってやらなくていい・やりたくないことなのかもしれません。
1日は24時間と限られています。どれだけあるかはわからないものの、人生もまた限られています。にもかかわらず、やらなくていい・やりたくないことをやり続けるのは「時間のムダ」という考え方もあるはずです。
すべてを思いどおりにすることはできないかもしれませんが、できるところからでも、できるところだけでも取り組むことで、少しずつでも状況は変わります。それが、わたし自身の実体験から言えることです。
というわけで。たとえなにかひとつでも、ぜひ、きょうから取り組んでみましょう。わたしも、取り組み続けます。
まとめ
わたしが、「時間がない」を根本から解決するために必要だった3つの考え方について、お話をしてきました。
「時間がない」は、多くのヒトが抱えている問題かと思います。本記事が、なにかしらのヒント、きっかけになれば幸いです。
- 時間を失くしているのはじぶんのせい
- 時間がない、はカッコ悪い
- 時間がないならやめればいい