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毎日更新はじぶんのためでもあり相手のためでもある

毎日更新はじぶんのためでもあり相手のためでもある

ブログを毎日更新しています。それは、じぶんのためでもあり、相手のためでもあるからです。それって具体的にどういうこと? というお話をしてみます。いわば、毎日更新のメリットです。

目次

でなければ、毎日更新などしない。

こうして、ブログを毎日更新しています。きょう(2023年7月22日)で 2,654日めとなりました。雨の日も風の日も… というのはもちろん。世間が、休日だろうが盆暮れ正月だろうが、更新をすると決めています。

また、以前はメルマガも毎日発行していました(いまは、複数のメルマガに分割して、火・水・木・土・日に発行中)。などというハナシをしていると。

毎日更新なんて意味あります? 質より量になって、よいものが書けないのではないか? 結局、SEO的にはマイナスなのではないか? などと、否定的な意見が出てくるものです。

たしかに、それはそれで一理あるし、ひとつの考え方でしょう。ということはつまり、別の考え方もあるということです。人それぞれ、いろいろあります。

だからもし、毎日更新で迷ったら、他人のいろいろな考え方を聞きつつも、やっぱりさいごは「じぶんの心が決める」のがおすすめです。元も子もないハナシではありますが。

で、わたしの心はどう決めているのか、というお話です。

ブログにしても、メルマガにしても、はたまたYouTubeや、音声コンテンツ、SNSなどにしても、毎日更新には「大切な意味」があるものと考えています。でなければ、毎日更新していません。

では、その「大切な意味」とは? 大きく2つに分かれます。1つは「じぶんのため」であり、もう1つは、「相手(ブログならブログ読者)のため」です。

それらについて、順番にお話をしていきます。

毎日更新はじぶんのため、とは?

毎日更新をするのはじぶんのため、これはさらに、2つに分かれます。

胆力が身につく

ひとことで言って、胆力が身につきました。要は、ガマン強さです。どんな1日であったとしても、3,000字くらいのブログ記事を「毎日書く」というのは、そこそこの胆力を要するものです。

やってみればわかります。逆にいうと、やってみなければわかりません。なので、わたしもはじめた当初は、なんど投げ出そうとおもったかわからないくらいタイヘンでした。

でも、いまはどうかというと。大げさでもなんでもなく、あまりどうともおもっていません。ブログを毎日更新することは、「朝起きたら朝ごはんを食べる」のと同じくらいの感覚です。

もっとも、朝ごはんは食べませんが(プチ断食派なので)。これは「もののたとえ」であり、とにかく、毎日更新を続けることによって、カンタンには投げ出さない胆力が身についたわけです。

これは、ブログやメルマガなどに限りません。たとえば、運動するとか、勉強するとか、別の「取り組み」についても、胆力をもって取り組めるようになりました。

仕事に関しても、なにかをあらたにはじめてみたときに、「結果がすぐに出ない」からといって、すぐにやめてしまう… というようなことも、かなり少ないほうだとおもっています(やめないことが必ずしもよいことかどうか、はともかく)。

なにはともあれ、わたしには毎日更新を通じて、「じぶんが変わった」との強い自覚があるわけで。これ以上なにか、じぶんのためになることがありますか? ということでもあり、じぶんを変えられたことは「毎日更新」の最大のメリットでもある、と言い切れます。

メンタルが安定する

平常心が大事、などというハナシもありますが。メンタル(心)が安定しているに越したことはないでしょう。この点、毎日更新はメンタルの安定にも役立ちます。

ブログにしてもメルマガにしても、なんにしても、不特定多数に向けて発信をしようというときには、ていどの差こそあれ「冷静」になろうとするものです。

毎日生きていれば、いろいろなことがあるわけで、良いことばかりでもありません。ツラいこともあれば、悲しいこともあるし、腹が立つことだってあるでしょう。わたしはあります。

それでもなお、毎日更新をする・発信をするとなれば、それらの気持ちを引きずるわけにはいきません。いうなれば、「よそ行き」のじぶんに切り替える必要があります。

毎日更新によって、この切り替えが毎日発生するので、おのずとメンタルが鍛えられていくのかなぁ、というのが持論です。

もっとも、メンタルが安定しているから毎日更新ができる、との見方もありますので。ニワトリが先か、タマゴが先か。という面があるのも、否定はできないわけですが。

いずれにせよ、毎日更新できるような人は「どちらかといえばメンタルが安定している人が多いのではないか」という目で、わたしは他人を見ていたりもします。

毎日更新は相手のため、とは?

毎日更新をするのは相手のため、こちらもさらに、2つに分かれます。

楽しみにしてもらえる

あまり大勢ということではありませんが、「毎日楽しみにしています」という声をいただくことがあります。ウソじゃないです、本当です。などと書くと、よりウソっぽくなるかもしれませんが。

わたしのことはともかくとして、「毎日楽しみにしている」という経験が、誰にもいちどくらいはあるのではないでしょうか。わたし自身、毎日楽しみにしているコンテンツがありますし。

これって、強力な「強み」ですし、他者との「差別化」にもなるところです。逆に、競合コンテンツがあったとして、いっぽうは毎日更新、いっぽうは不定期更新だとしたらどうでしょう?

不定期更新のほうは、更新がない日は残念な気持ちになります。そのときに、毎日更新の競合コンテンツを知ったら? 一気に、そちらのファンとなり、不定期更新のコンテンツのことは忘れられてしまう… なんてことがあるかもしれません。

なので、毎日更新は「毎日楽しみにしてもらえる」という点で、相手のためになるものであり、結果として、じぶんのコンテンツに相手を引き付ける強みにもなるのではないか、と考えています。

ポジショントークに聞こえることを承知でいえば、毎日更新をできる人は割合でいえば「極少数」であって、強烈な差別化ポイントにできるでしょう。

もちろん、コンテンツの「質」がともなっていることが前提ですが、それは毎日更新だろうが、不定期更新だろうが同じことですから、毎日更新を否定する理由にはなりえません。

習慣化に貢献できる

「毎日楽しみにしています」という声をいただくことがあります。大事なことなので、もういちど言ってみました。ウソだとおもうかもしれませんが、わたしにだってファンはいるのです!

などと威張ることが目的ではなくて、「毎日楽しみ」について、もう少し深掘って考えてみることにします。「毎日」なのですから、文字どおり、毎日のことなのであり、要は習慣です。

だとすれば、毎日楽しみにしてもらえることは、相手の「習慣化」に貢献できているということでもあります。1つの習慣化は、ほかの習慣化にも役立つものです(習慣化を通じて、相応の胆力が身につくから)。

わたしは、人生における「習慣化」のチカラを信じているし、大事にしているので、毎日更新を通じて、ほかの誰かの習慣化に貢献できることは、このうえない喜びにもなっています。

また、毎日楽しみにするのは、じぶんにとっての「気づきをえる」とか、じぶんを変える「きっかけをえる」ことができるからではないのか、ともおもっています。

気づきやきっかけをえられるのが良くて、毎日楽しみにしている。だとすれば、じぶんの毎日更新を通じて、ほかの誰かの役に立つことが少しはできているのかな、という喜びもあります。

相手のためになるということは、じぶんのためにもなるわけです。

まとめ

ブログを毎日更新しています。それは、じぶんのためでもあり、相手のためでもあるからです。それって具体的にどういうこと? について、いわば毎日更新のメリットとしてお話をしました。

ブログやメルマガ、YouTubeや音声コンテンツ、SNS投稿などをしているのであれば、「毎日更新」という選択肢についても、検討してみるのはいかがでしょう。多少のムリをするだけの勝ちはある、というのが経験則です。

毎日更新はじぶんのためでもあり相手のためでもある

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